自慢じゃないが、私はこれまでの人生の中で大きな2つの「ふつう」を超えてきたと思っている。そして、そのことが決して自慢できることでないということも実感している。すべて、自分の好きなように選択して今があるのに、それでもまだ私は自分の人生に自信が持てないでいる。“本当にこれでよかったのか?”そんな問いがしばしば頭をよぎる。

「ふつう」より早い結婚、「ふつう」よりうんと距離のある実家

冒頭で2つの「ふつう」を超えたと述べたが、一つ目は社会の「ふつう」である。常識と言い換えてもいいかもしれない。もちろん、過去と比べれば人々の人生において多様性や多様な選択は認められ、受け入れられるようになっていると思う。それでも、人生設計として、言葉にしないまでも多くの人が思い、実際にそうしているのが、30歳前後に結婚、数年内に出産、幸せな家庭を築く、というものではないだろうか。そして、自身またはパートナーの両親が近くに住んでいれば、ときどき彼らに助けてもらいながら育児をする。彼らが遠方に住んでいるのであれば、孫の顔をときどき見せに行く。両親の年齢が上がれば、二世帯で住むことや、彼らの介護にあたったり、最期を看取ったりするだろう。こうして、自分の両親からもらったバトンを自分の子どもへと受け継いでいく。

もちろんこれがすべてではない。でも、私を含め「ふつう」でない人生を歩んでいると思っている人は心の奥底で、上記のような“社会の「ふつう」”をふつうだと感じているのではないか。どこかに「ふつう」があるからこそ、自分が「ちがう」と感じるのではないか。それほど、“社会の「ふつう」”は根強い。

私は、24歳で国際結婚をした。結婚と言っても、実際は入籍したのみで、結婚式や披露宴は行っていない。夫と私の性格上、大勢の人の前で何かをすることが得意でないことや、遠く離れた双方の家族や知り合いが一堂に会すのは難しいと判断したためだ。また、その後に夫の母国への移住も考えていたため、結婚式や披露宴で大きな金額を使うことを避けたかったこともある。「女子なのに結婚式に憧れないなんて」「式を挙げないなんて親不孝だ」そんな言葉が聞こえてきそうである。また、将来についても、異国で子を産み育てる自信は今のところない。さらに今年のコロナウイルスの感染拡大により、その自信はさらになくなった。また、今後両親が歳をとり、介護が必要になったときに助けになれないこともあるだろうし、最期を看取るのに間に合わないかもしれない。これが「ふつう」を超えたのかどうか、はっきり言い切ることはできない。「ふつう」を避けてしまったという方が、正しいかもしれない。

一流企業でキャリアを積む同窓生と一般企業の事務を数年で辞めた私

二つ目は、出身校の「ふつう」だ。私は、地元の同級生たちと過ごした中学生活にあまりいい思い出がなかったため、一生懸命勉強をし、県で1、2を争うと言われる高校に進学した。そこで知り合ったのは、同級生、先輩、後輩、どの人をとっても「自分」というものを持っており、単に勉強ができるというだけでなく、人間として尊敬できる人が多かった。進学校であったため、ほとんどの人が四年制大学へ進学した。20代半ばになった現在は、ほとんどの人が働いている。それも、名前を知らない人なんていないような有名企業で、である。男性も女性も関係なく、メディアに出ている人も多い。とにかく、何かを成し遂げている人が多いのだ。

出身高校だけでなく、出身大学も然りである。ジェンダー研究に強い教授が多い大学であり、教育方針も、社会をけん引できるリーダーの創出、であった。周囲でも、野心を持った友人が多かった。主婦になりたいと言う友人や、一般職として就職したいと言う友人はほとんどいなかった。もしそう思っていても、言いにくかったのかもしれないが。
そんな友人たちは一流企業に総合職として働いている場合が多い。一般職として事務職に従事し、海外移住のために数年たらずで会社を辞めてしまった私は、彼女たちと比べものにならない。出身高校、出身大学の友人たちからすれば、あまりにも、彼女たちの「ふつう」を超えてしまっているだろう。

すべて自分で選んできた道 自分を幸せにする方法を模索する

就職先も、結婚や移住といった人生の大きな選択も、すべて自分で決断し歩んできたはずなのに、どこかに、どうしても友人や知り合いと比べてしまう自分がいる。自分は自分、誰か他の人と比べても意味がない。それは頭ではわかっているし、意識してSNSは見ないようにしているけれど、それでも風のうわさで彼女たちの近況を聞くことはある。そんなときはいつも落ち込みそうになるが、自分の人生は、他の誰かが何とかしてくれるものではない。自分で、自分を幸せにする方法を、これからも模索していきたい。