あああああああああああああああ!!!!!!

突発的に叫んでみても、じっくり凝視してみてもわたしの顔面に変化は無い。

誰から何を言われても、この世から消し去りたいほど醜く嫌いなわたし

今日も鏡に映るわたしは醜いし、テレビやスマートフォンの黒い画面に反射するわたしも醜い。どうしようものか、と考える。
が、解決策は未だ見つかっていないし、多分無いのだと思う。わたしは所謂「自分のこと嫌いすぎて死にたい病」(以下:死にたい病)である。

「死にたい病」とは、昼夜問わず誰と居ても居なくともこの世から自分を消し去りたい衝動に駆られる病であり、わたしが命名した。これを誰かは「心の弱さ」だと笑う。わたしが死んだら証明できるのか?そんな生半可な気持ちで死にたくなるわけじゃないんよ。
「誰にでもある、当たり前の心情」と言われたこともある。

しかし、「死にたい病」が世間一般的に広まっており、大半の人が抱える悩みであり、皆一度は乗り越えざるを得ない困難だとして、一体その事実がわたしを救うとでも言うの?

「お前は異常だ」と言われても「みんな一緒なんだよ」と慰められても、
今日もわたしはブスである。ちなみに昨日もブスでした。
比較的愛されて今まで育ってきたし、今は恋人も居て毎日「可愛い」と頭を撫でてくれる。だが、その一瞬も妙ちくりんな顔面をしていることをわたしは知っている。

トイレに行けば他人と比較し、顔面が気持ち悪くて夜な夜な泣く日々

わたしはよく泣く。特に夜。
この世界にわたし一人が取り残されたような気がして泣いているので無い。わたしの顔面が気持ち悪くて泣いているのだ。
泣いた後のわたしは特に醜い。目は必死に身を守る貝のようで、口は擦り減ったタイヤのように歪んでいる。何故か頬も膨張していて、それでも涙は止まらず垂れ流し続ける。

少しでも自分を受け入れるために、整形や矯正をしたい。手で隠さず自然と歯を見せて笑いたいし、雨の日も過剰な化粧直しのために駅中のトイレに駆け込みたくない。
新宿や池袋の駅のパウダールーム。大きな銀鏡の前に複数の女性と共に整列しているだけなのに、自分の前だけがぐにゃりと潰れているようで、潰れていればいいのにと願っている。

右のお姉さん、目がパッチリ開いていてお人形さんみたい。左の女の子、鼻がつんと高くて可愛いな。遺伝子に感謝しなよ、心の中で呟いた。
さて、わたしは?

醜い、醜いと自分が嫌いだった私が持っていた秘密兵器

あの夜、わたしはいつものように泣いていた。醜くて、醜くて、醜くて。頭のてっぺんから足の先まで、髪の毛一本足らずとも不気味で仕方なかった。

恋人は言う。「先ず考え方を変えたら?」

おお、すごいこと言うな。
変えられるものならばとっくに変えている。見た目も性格も、変えたいと思って変えられるものではない。わたしにとっては。

「変わりたいと思って、行動に移したことあった?」

ああ、そうか、結局、わたしは自分自身を甘やかしているのだな。ブスで、飽き性で、短気で、努力することが大嫌いで、金遣いが荒くて、他人を蔑んでいる、このわたし。

友達も居ない、頭脳も知識も才能も無いのにいつか認められると信じていて、本当はドストエフスキーも村上春樹も読んだことなくて・・・
そういえばずっと、わたしと向き合うことを恐れて他所ばかりを見ては優越感を感じ口角を上げ、勝手に劣等感を抱いては泣いていた。

もしかしたら悲劇のヒロインぶっていたのかもしれない。
表面のわたしと内面のわたし。醜いのは中身の方でした。そう思った時から、秘密兵器を持っている気分になり、顔を見ると何となく笑ってしまう。秘密の兵器だから、いつか爆発させたいな。