「あらまあ、可哀想に」
 道行く他人から、こんな風に声をかけられた経験がある人は、一体どれくらいいるだろうか。友人と歩いているときに、自分だけ宗教に勧誘されたことがある人は? 自分だけ怪しい水を売りつけられそうになったことがある人は?

肌に悩みがある私を他の人と同じように接してくれる大好きな友人たち

 アトピー性皮膚炎を患っているわたしは、全て経験がある。「患っている」という言い方は、適切ではないのかもしれないと思うことすらある。インターネットによると「アトピー性皮膚炎」は病気で、病気と言われるとまるで治る可能性があるかのように思えるけれど、わたしのアトピーは、症状が軽くなることはあっても、完全に治ることはきっとないのだから。

 幼い頃から人と違う肌をしていたことが関係あるのかないのかはわからないけれど、わたしは友人を作るのが苦手だ。卑屈なのも自意識過剰なのもネガティブなのも全部、アトピーのせいにしてしまいたくなる。
それでもそんなわたしにも、数少ないながら仲良くしてくれる友人がいる。彼ら彼女らは、わたしの「病気」について必要最低限のことしか聞かず、健康な肌をした人たちと同じように接してくれる。それがどんなに嬉しくて、ありがたいことか。
 そんな大好きな友人たちと歩いているときに、突然「お前は他の人と違うぞ」と突きつけられるのだ。知らない人の「あらまあアトピーなの? 可哀想に」という言葉で。

この痒みや肌の悩みがなかったら。幼い頃からつねに抱える不安や恐怖

 わたしは「可哀想」なのだろうか。「そんなことない、可哀想なんかじゃない」と言える強さを、わたしは持ち合わせていない。
 毎日この痒みがなかったら、どれだけ心が軽やかだろうか。黒ずんだり赤くなったり白斑になっていたりするまだらな腕を隠すために真夏でも着ているカーディガンを手放せたら。
刺激が気になって選べないレースのブラウスを着ることができたら。うっかり掻き崩してしまった傷痕から滲む血や体液で、服を汚してしまう恐怖から解放されたら。
そりゃあ怪しい宗教勧誘に狙われるよ、と諦めにも似た心地になる。神にすがって治るものならすがりたいもの。

 小学生の頃からずっと嫌いだったプールの授業を、中学生からは「塩素で肌が荒れるから」とサボるようになった。それも嘘ではないけれど、一番の理由は肌を誰かに見られたくないから。夏は浴衣が着たいよね、としきりに言ってしまうのは、浴衣なら肌が隠せるから。実は蒸し暑くて汗をかいて結局肌が荒れるけれども、水着を着るより断然マシ。広いお風呂は大好きだけど誰かと温泉に行くと少し緊張してしまうのは、肌を見て不快に思われないか不安だから。温泉の効能に「アトピー性皮膚炎」の文字を見ると、入るのを許された気持ちになる。

ひとりじゃないよ。この悩みを抱える人は他にもいることを伝えたい

 最近は、友人知人が子供を授かったという報告を受けるたびに、「どうか、アレルギーやアトピーを持って生まれませんように」と願ってしまう。
だって、こんな肌に生まれて良いことなんかひとつもなくて、他人の目線ばかり気にしてびくびく生きなきゃいけない。薬さえあれば他の人と同じ生活を送れるわたしですらそうなのだから、同じ「病気」でもっと生きづらい人はいるはずだと思うと、胸の奥が引き攣るような気持ちになる。
こんな思いをしているのはわたしだけではないと思いたくてSNSでアトピーのことを呟くと、どこからともなく検索してきて怪しげな民間療法を勧めてくるアカウントにフォローされる。ああネットの世界にも、「あらまあ、可哀想に」の人はいるんだなあ。

 だからわたしは、この文章を「かがみよかがみ」に託します。誰かひとりにでも「わたしだけじゃないんだ」と思ってほしいし、わたしもそう思いたいから。