私は背が高い。
どこに行っても初対面の人の第一声は「背が高いですね」が圧倒的な数を占める。
ついでにいえば、それに対して私が本心からではない笑みを貼りつけて「そうなんですよ~」と答えるまでが必ずセットだ。

「背が高い」ということは、一番誤魔化しが効かないコンプレックスだと思う。背が低ければ、ヒールを履いて高くすることができるし、太っているならば、ダイエットで細くなることができる。自分の顔が気に入らないのであれば、最終整形という手だってある。けれど、背を低くする整形というのは存在しない。
背の高い人は、何をどうあがいても背が高い人のままなのだ。

もちろん背が低い人には背が低い人の悩みがあって、どの悩みもみな尊重されるべき切実な思いなんだということはわかっている。
けれど私はやっぱり自分には縁のない高いヒールの靴に憧れてしまうし、来世生まれ変わる時に自分の身長を選べるとしたら、間違いなく今の「170センチ」とは答えないだろう。

「高すぎるよね」といった言葉の小さなトゲたちは抜けない

私が人より大きいのは、本当に生まれたその瞬間からだった。幼い頃は、実年齢よりも大きく見られて損だったと母が言っていた。幼稚園から高校まであったいわゆる背の順は、後ろ以外になったことがない。背が高い人が下になるべき組み体操は、情けなくも力がないせいで上にしてもらい、先生たちや友人、果ては運動会を見にきた両親にまでも「背が1番高いのに上…?」と不思議がられた。
少しでも小さく見られたくて染み付いてしまった猫背は、直そうと何度も思っているのに未だに直りそうにない。

本当に心からの羨望で「背が高くていいね」と言ってくれる人も中にいる。けれど「高すぎるよね」とひそひそと揶揄してきた同級生の声や、身長の話を色々とした後に「まあ、普通が1番いいよね」と言い放った友人の言葉、高校の時、男の同級生が「彼女にするならやっぱり自分より背が低くないとな」と言ったことを、私はこれからもどうしてもふと思いだしてしまうのだろうと思う。そうした言葉の小さなトゲたちは、しっかりと私の心に刺さったまま、抜けずにこれからも疼くのだろう。

この世界を見る視点が人より高いこと自体はけして嫌いじゃない

ここまで背が高い不満をつらつらと書いてきたし、実際私の苦悩はこんなものではないので書けと言われればいつまでも書ける自信があるが、ここからは背が高くてよかったことも書いてみようと思う。

まず第一に、耳にたこができるほど言われる「背が高いね」という台詞にプラスして「スタイルがいいね」と言ってもらえることも多い。「脚が長いね」というのは実際は背が高いから相対的に人よりも脚が長いというだけであって、身長に対する私の脚の割合は実のところそこまであるわけでもないが、言われて悪い気はしない。

また私は、デニムやパンツでいわゆる裾上げをしたことがない。むしろ買う時には、座った時に裾が短く見えないかということの方を気にする。めんどくさがりの私にとっては、そのまま何の手直しもせずに買えるというのはありがたい。

そして最後に私は、自分のこの世界を見る視点が人より高いこと自体はけして嫌いじゃない。

私が気にするのは、「背が高いことを言われる自分」

私がいつの時代も気にしているのは、背が高いことそのものではなくて結局「背が高いことを言われる自分」なのだと思う。
ヒールが履きたいと思うなら履けばいい。けれどそこで私が躊躇するのは、やっぱり周りの視線やどう言われるかが恐ろしいからだ。ヒールを履いて身長そのものが高くなること自体には、マイナスな気持ちはない。

周りの目を気にするなというありきたりで大切な考え方があるが、はっきり言わせてもらう。周りの目を気にしないなんて現代社会を生きていく上でどう考えても不可能だ。
私は今までもこれからも、背が高いことはコンプレックスとして生きていくのだと思う。

いつか、誇らしい気持ちでパンプスを買える日がくればいいな

けれど先日、こんな事があった。
友人の結婚式に着て行くドレスをお店で試着させてもらった時に、店員さんが「よかったらこちらと合わせてください」とヒールの高い可愛いベージュのパンプスを持って来てくれた。
その日スニーカーを履いてきていた私は、たしかにドレスにスニーカーを合わせる気にはならず、おそるおそるそのパンプスを履いてみた。
「こんなに高いヒールを履くのは初めてです」と俯きながら言う私に、私と同じくらい背の高い綺麗な店員さんは「そうなんですか?とってもお似合いですよ」と言った。
それは私に向けられた言葉でもあり、彼女自身の身長に対する自信の表れでもあった。
ああ、カッコいい。と、心から思った。店の鏡に映る高いヒールを履いた私は、いつもよりも少しだけ自信があるように見えた。

その日は結局パンプスは買わずに、ドレスだけを購入した。
けれどいつか。誇らしい気持ちでパンプスを買える日がくればいいなと、最近の私はそう思えるようになってきている。