『太ももが太い』などと嘆く人は多いのではないだろうか。昨今のメディアでは足が平行だったり、太ももからふくらはぎで同じような細さの人が「可愛い」と称されることも多い。

かくいう私も、前述に提示した悩みを抱えた一人である。いつから、という明確な答えはない。おそらく物心ついた辺りから、自分の中でその悩みは当たり前になっていた。

全て呪いのせいと決めつけた太ももは、太ももらしく立派に成長

三千グラム超の肉付きよすぎボディでこの世に誕生したわたし。新生児なのに一歳児と間違われるくらいの貫禄だったという。そんなわたしも、幼稚園から小学校まではかなりの少食で平均よりも痩せている部類だった。

それでもその時のわたしは太ももを気にし、母に「太くない」と言われ、「適当に返しやがって……」なんて理不尽に思っていたもので。
あるとき、そんなわたしを見かねた祖母が放った一言で世界が一変した。

「太ももが太いのは呪いだから。大人になればすぐになおるよ」

衝撃だった。これは呪いなのか。つまりわたしは自分の力ではどうすることもできないことをひたすら悩んでいたのか。

それからはすごいもので、何かに付け「呪い」のせいにして、暴飲暴食。元々、小食だったのが嘘かのように食べ続け、中学高校、社会人までたどり着き、それはそれは立派な太ももに相応しい太ももが出来上がった。

しかし、二十歳を過ぎた頃、はたと気づいてしまった。

「もう、大人のはずではないか?」

そう、わたしが数年育て上げてきた太ももはわたしが悩み苦しんでいた時期よりもはるかに立派だ。一気に、気にせず履いていたミニスカートが恥ずかしく思えた。

呪いだから仕方ないと考えていた日々を変えた、エスティシャンの一言

当時、交際していた人にも友人にも「太ももが太いことが悩み」などと触れ回っていたが、本人も本気で捉えていない上に、みんなお世辞にも「そのままでいいよ」などと言ってくれるものだから、完璧に調子に乗っていた。

見渡すと細いスレンダーな足の友人たち。なぜだ、いつからだ。最初からだろう。

わたしは「呪い」という魔法の言葉に助けられ、逃げ道として大事に取っておいただけだったのだ。

それから、無理にダイエットをしても運動をしても太ももだけは変わらず。どんどん自信が消失していくのが嫌でもわかった。

パンツを履くと見られている気がして履けなくなった。ミニスカートは論外。ダボダボでゆるゆるのシルエットを好み、いつしか太ももも自分の気持ちも隠していた。

二十代も後半に入ったあるとき、エステの広告に魅せられたように入会。継続する気もなかったのだが、なんとなしに「やってみようかな」と軽い気持ちで行き始めて三度目。エステティシャンに「太ももとふくらはぎのバランスを揃えたいですね」と声をかけられた。

驚いた。そこまで言う?

でも確かにそう。

太ももに魔法を。愛情をそそいでケアするとシルエットに変化が

わたしはこの太ももに満足していない。なぜ忘れていたのか。そして、そう思いつつもそのままの自分を受け入れていた自分にも驚いた。

その一言から、姿勢や歩き方、マッサージにストレッチ。自分が自分をもっと好きになれるように、もっと大切にできるようにと愛情をそそいで太ももをケアした。

すると、今までうんともすんとも言わなかったあの太ももが、スルスルと細くなり、自信もついて楽しくなった。

あんなに拒んでいたパンツも、シルエットを出したいとわざとピタッとしたものを履いている。

人目に見ると変わっていないかもしれない。でも、自己満足でいいのだと、自分は自分の好きな自分で良いのだと、この太ももが教えてくれた。

今はこの自分の姿が好きだ。これからどんどん好きを更新するのだ。

この間、地元へ帰省した際に祖母から「もう呪いはとけたんじゃないかい」と言われた。

わたしはもう、呪いは受けない。

わたしには魔法が使えるのだから。