子どもの頃は、運動嫌いでぽっちゃりだった。色白で、日に当たるとすぐシミそばかすができる。赤毛のアンも悩んでいるらしい、そばかす。有名な歌手が歌にした、そばかす。そんなに綺麗なものではないんだけど。

そして、周りの子達より早くににきびが出現し、顔中がにきびだらけになった。大人っぽい上級生のおでこに、にきびがぽつぽつあるのは知っていた。しかし、私のにきびは誰が見てもそれ以上に酷く、醜かった。

中学生になって、少しだけ「おしゃれ」をするようになった

私の見た目以外にも、親が変わっているとかいろいろ原因があるのは薄々気づいていたが、私に優しい視線を向ける同級生は少数派だった。私が好きな男の子が、私のことを「太っているから好きじゃないんだって」とわざわざ知らせてくれる子もいた。前日と同じジーパンを穿いていたら「また同じの穿いてる」と目の前でこそこそ話をされたりもした。目が悪いのに眼鏡をかけるのを拒否したのは、容姿がこれ以上に酷くなるのを避けたかったから。

中学に上がりにきびが落ち着き、苦手だと思っていた運動部に所属した。練習と日焼けとの戦いはつらかったが充実していた。

日焼け止めガンガン塗ってるしそれでも出来るそばかすはもうしょうがない。地味に手芸をしていたような子どもだったのに、いつの間にか運動部に馴染んでいた。でも、手芸経験も少しは役に立った。

校則の範囲の中で、少しだけおしゃれをするようになった。名札を縫い付ける糸を少し変わった色にしてみたり、防寒の為のカーディガンやコートにこだわってみたりした。細かいこだわりすべてに気づいてもらえるわけじゃなかったけれど「それかわいいね」と言ってもらえるようになった。

付き合う友達も少し変わった。ちょっと派手な子からも、差別なく扱ってもらえるようになり嬉しかった。伊達眼鏡やおしゃれ眼鏡も流行り、別に誰も気にしないだろう。それに目が見えないのは不便だ。そして、授業中は眼鏡をかけるようになった。

同級生からは認められても、大人からは認められなくなっていった

高校に上がりスカートを短くしたら、ストレートで教員採用試験に合格したらしい若い新任の担任の先生から早速目をつけられてしまった。思うように成績が伸びなかったり、体調も良くなく心療内科に連れて行かれたり、大人から見た私は優等生から一転して問題児になった。

そして、インターネットで知り合った大人に私の写真を見せると「かわいい」と褒めてもらえるようになった。「見た目で嫌われていたのに、今の私は褒めてもらえるんだ」と舞い上がる気持ちもあったけど、本気で私を思って愛しているわけでもないんだろうなということはわかってくる。

体調不良で10キロ以上痩せてしまった私は、不健康だったかもしれないけれど痩せられたことは素直に嬉しかった(でも、やっぱりこれ以上はまずいと思い徐々に体重は戻した)。

体調をなんとか整え働きだした私は、“かわいい子”として扱ってもらえることが増えた。
もちろん若さもあるだろうけど、体重や肌の汚さや家庭の事情で嫌われていたのに、それがなくなったら無理に化粧を濃くすることもなく、着飾らなくても“かわいい”扱いしてもらえるのだ。顔のつくりや身長にそこまでコンプレックスはないし、そこから目を逸らすことが出来ていたのは結果的に良かったのかもしれない。

年齢を重ねて違う悩みが出てくると思うけど、卑屈になることはない

もやっとすることもある。女性だけ会社でお茶出しさせられたり、逆に下っ端の女の子として甘く評価してもらったり。けれども、どちらかといえば容姿の恩恵を受けて、私は今生かされている。見た目にこだわることも減り、もう常に眼鏡をかけて同じような服を着ている。

自分が絶世の美女とは思っていないけれど、自分の容姿は好きだ。多分、この先ちょっとしわやシミができても、それは変わらないと思う。大幅に太ったらショックかなとは思うけれど、それで必要以上に卑屈になったりはもうしないだろう。

母も祖母も甲状腺の病気をもっていて、コントロール出来ずに太ったり、痩せたりしていた。私もそうなるかもしれない。でも、私はそれで態度を変えるような人は、周りには置かないつもりだ。

この間、誕生日を迎えた。ひとりぼっちのなにも変わらない誕生日。このまま何年も経ったら、多少なりともまた別の悩みも出てくるだろうけど、あの頃の私を知っている人からしたら想像も出来ないような容姿の私になっていたい。