「かわいい」は人それぞれなのに、みんなそれに縛られている気がする

 私は「かわいい」っていうことばが苦手だ。動物やモノに対してなら大歓迎だが、顔に関しては特に嫌いだ。自分の顔に自信がないことに原因があるのかもしれないが、そもそも、「かわいい顔」って何じゃ! って思う。目がくりっと大きくて、顎がしゅっとして細くて、鼻が高くて……。万人受けの「かわいい顔」も確かにあるかもしれないが、結局「かわいい顔」の定義ってないんじゃないかって思う。だって「かわいい」って偏っていて、好みとか人それぞれだから。その人の主観が入っているものだから。
「かわいい」ってその人がいう「かわいい」であって、ほかの人から見た「かわいい」じゃないかもしれないじゃない。女優さんだって一人一人顔が違うし、ファンもそれぞれいるわけだし。でも私も含めて世の女子たちは「かわいい」にいつも縛られている気がする。だって、かわいくないより、「かわいい」って言われたいから。

毎朝、鏡の中の自分の顔と向き合い、必死に闘ってきた

 アラサーになって、お肌の調子も若いころに比べて衰えてきた。しみもそばかすも増えてきて、首にイボもできてきて、必死にメイクしたり薬を塗ったりして、ごまかす日々。毎朝、鏡を見ては落ち込む自分。必死に自分の顔と闘っている。だんだん若さと勢いだけでは無理になってきた。「かわいい」とか言われる年齢はもう終わった。それより、「きれいだね」とか言われる大人の女性になりたい。新型コロナでマスクをするようになってから、皮肉なことに、自分の顔と向き合わなくて済み、気持ちが楽になった。コンプレックスのエラが張った頬っぺたも、マスクで隠せる。しみ、そばかすももちろん隠せる。メイクも手抜きである。まあ、マスクで擦れて顎にニキビはできるけれども。顔との闘いはしばらく休憩かな。周りの目も気にしなくてよくなった。

尊敬する上司がかけてくれた言葉が、自分の価値観を認めてくれた

 職場で昔、尊敬する女性の上司がいた。今は異動して一緒に働いていないのだが、大好きな上司であった。すごく一人一人のことを見てその人に合った指導をしてくださる方だった。入社したばかりで不器用な私が仕事に慣れず落ち込んでいたとき、あなたは意思が強いし、すごく努力家だから大丈夫と温かく声をかけてくれた。仕事の相談をしたときも、うんうんってちゃんと耳を傾けて私の考えを受け止めてくれていた。なかなかそんな上司はいない。もう二度と会えない上司だろうなと思う。

あるとき、私がお気に入りのターコイズグリーンの服を着ていったとき、その上司が「その色味、素敵ね。すごく似合っている」と声をかけてくださった。お世辞でもとても嬉しかったのを覚えている。私が服屋でひとめぼれして買ったシャツ。自分がいいなって選んだ服を同じように素敵だねって共感してもらえたことが嬉しかった。センスがいいねってことだよね。大げさかもしれないが、自分の価値観、中身を見てもらえたような気がしたのだ。

顔よりもセンスを褒めてもらえたほうが、ハッピーな気持ちになる

私は顔じゃなくて、センスを褒めてほしい。着ている服や持っている小物、自分の作品。考え方、持っている感覚や感性。「顔がかわいいね」より、「その服かわいいね」と言われたほうが、ハッピーな気持ちになる。ちゃんと自分のことを受け止めてもらえているような気がするから。あと希望も持てる。だって年を取ってもセンスは衰えないし、逆に磨かれて味が出てきそうだし。ああ、自分らしくセンスのいい人生を送りたいものである。