「2021年のスケジュール帳はもう買いましたか?」私は2020年を、スケジュール帳との付き合い無しで終わらせようとしている。さて、来年はどうするか。

私は高校生の頃からスケジュール帳を埋めることが好きだった。今月来月の欄が文字と絵でぎっしりと埋まっているのを見ると、なんだか安心できた。
書かれているのは部活や習い事の予定や、バイトのシフトと試験勉強の計画、友だちや彼氏に会う場所と日時など。内容は、その時々の生活スタイルによって少しずつ変化していった。空白は、プリクラや雑誌の切りぬき、ひとこと日記などで埋める。余白は残さなかった。

休み時間や移動時間など、暇があれば手にとって、最近あった出来事を思いだした。そして数ヶ月先の計画を見据えて、浮かんだアイディアを素早く書き留めておく。「万が一落としたら」と、今になって考えるとかなり恐ろしい。まさしく個人情報の塊(しかも無施錠)を所持していたんだな思うと、震える思いである。

それが今では、主婦となり、母となって数年経ち、スケジュール帳を買うことがなくなった。予定の管理は、家に貼られたカレンダーに直書き(昭和感)。

プライベートな予定なんてないから、スケジュール帳を手放してみた

令和の中高生や大学生、そして同世代の働くみんなは、予定をスマホやタブレットで管理しているのだろうか。電子機器で管理すれば、誰かと予定をシェアできるのも便利なのかもしれない。きっと、オンとオフの予定をパッと見で分かりやすく整理できたりするのだろう(未知)。
しかし私は、スマホの充電が0になりがちなズボラなので、出来ることなら紙媒体に予定を書き込んでおきたい派だ(あと、一目で1ヶ月分の予定を全て把握したいので、あまり小さいサイズのスケジュール帳は嫌)。

そして、最近では、私の予定の「プライベート臭」はほぼ0。自分の予定=家族の予定であることがあまりにも大半を占めてしまっている。自分単独の予定(美容院やママ友とのお茶、歯医者など)は月に数回、もはや無い月もある。私の予定は誰かにみられて恥ずかしい事なんて何もない。デートの相手が月によって変わる様な事も、もちろんあり得ない。

そんな訳で「もう最初から、幼稚園児を含めた家族全員で、予定を共有できた方が、話が早いな??」「じゃあ壁掛けカレンダーにひらがなで予定をかくよ」という、原始的かつ実家のオカンみたいな手法に落ち着いた次第である(それを時々スマホで写真を撮っておくのだ)。今年1年やってみたけれど、実に便利だった。

しかし、最近本屋さんで2021年のスケジュール帳を見かけると、何故か寂しく感じるのである。

スケジュール帳を埋めて自分の価値を感じたいしアイデアを楽しみたい

そもそもなぜ私がスケジュール帳を買わずにこの1年を過ごしたかと言うと、それまで使っていたものが、手持ちぶさたになったからだ。なんだか、ページが埋まらない。手付かずのままに年末を迎えてしまう欄があまりにも多すぎる。かといって小さくて薄いものを買ってしまうと、スケジュール帳との付き合い方がこれまでとは全く変わってしまう。踏み切れなかった。なので実験的に、今年1年はスケジュール帳を使わないという選択をしたのだった。

私が分厚いスケジュール帳を文字や絵で埋めることに
執着している理由はおそらく2つ。
1つ目は、自分の価値を可視化していたから。誰かとの予定や自分のアイディアなどが一冊にまとまっている様子は、見ていて気分が良い。
2つ目は、自分の為だけの予定やアイディアを書き留める時間自体を楽しんでいたから。それが今ではペンを持つのは朝息子達の検温をする時だけ、なんていう日もある。

新しいスケジュール帳を買うことは「初めての調味料」を買うのと同じ

プリクラはとらなくなったので、昔のプリ帳としての役割はインスタが担ってくれている。そして今の私のアイディアはスマホのメモ帳に書き留められて、このようにエッセイとして昇華されている。実際、本格的に主婦を辞めて仕事を始めない限り、スケジュール帳は要らないのかもしれない。壁掛けカレンダーで十分なのかも。
でも私が本当に欲しいものは、分厚いスケジュール帳、そして自分だけの予定やアイディアを書き込み、眺める時間。やろうと思えばできるはず、やりたい。けど、なんだか踏み切れない。

最近では「夢の実現」や「美容」「貯金」などをテーマにしたスケジュール帳も書店にならんでいる。あれ、かなり気になりませんか?
しかし、今の私にとって新しいスケジュール帳を買うことは、「初めての調味料」を買う時と同じ位のハードルがある。ナンプラーとかさ。興味あるけどなかなか手を出せないじゃないですか。賞味期限もあるし。使いこなせるか、使いきれるか、自信がもてなくて。

とはいえ、もう年末もすぐそこ。良さげなスケジュール帳はどんどん売り切れていく。どうしよう~…