私が都内の女子大に通い始めて3年目の春がやってきた。小・中・高と男女共学に通う私にとって女性しかいない環境はこれが初めての経験で、入学当初はとても不自然に感じていたものの、3年目ともなるとこの環境がアタリマエ化した。

半数以上の授業が女性の先生によって行われ、ハキハキとした色とりどりの発言が飛び交う。発言する女性の容姿は様々だ。爪を伸ばした金髪の人もいれば、淡い色のカーディガンを羽織り眼鏡をかけている人、ボーイッシュな服装に短髪の人。

先生方は、どの学生に対しても真摯に向き合ってくれる印象だ。女性特有の体調不良による早退希望を伝えることに対して恥ずかしいとも思わない。先生は、次週の授業の際に体調を確認する言葉をかけてくれる。この環境が今の私にとってのアタリマエである。

1軍・2軍・3軍…私が感じていた「スクールカースト」

このアタリマエがアタリマエでないことを感じるようになった。いや、思い出したのは、就活について調べるようになった時である。「学歴で判断されるのは、早慶上智まで。MARCHからは顔面も含めて判断される」このような言葉を目にした。

決してこの言葉が正しい言葉であるとは決して思わないものの、男女共学に通っていた時の感覚を思い出した。

功績を残している部活に所属していて顔が良くて、目立つ人たちはカースト一軍にいて、先生方からの信頼も厚く学級委員も一軍の中から先生が指名した。

一方で二軍・三軍の人たちは、発言することで後ろ指を指されてしまうのではないかと声を出すことに臆病であった。一軍に同調し続けた。

共学のときに感じていた「見た目で人の態度が変わること」

その環境で「見た目で人の態度が変わる」ことを感じた。この他者からの態度が、時にとても冷たい温度を感じて生きづらさを感じていた。

特に男性から露骨に態度を変えられた事が多かった。この主観はきっと誰かれにも当てはまるとは思わないし、男性という異性批判をしたいわけではない。統計に出せるものでもない。それでも、プライドを傷付けられたような、悔しいような、自分を出すことに対して恥ずかしさを持ってしまい、塞ぎ込んでしまう魔法にかかる。

この感覚を女子大に入って私は忘れてしまっていた。

男女共学の学校に通っていた時には、冷たい温度を時に感じる事がアタリマエで、生きづらさをグッと堪える力を持っていた。このグッと堪える感覚をまた持てるのだろうか、持たなければ社会で生きていけないだろうなと何となく予想出来るけれど、この生きにくさを考えると窒息しまいそうだ。

女子大に入って気づいた、男性女性ではなく私たちは「人間」

私は今、安全な檻の中にいる。女性として生きているというより、人間対人間で生きている感覚だ。

見た目にこだわりを持ちすぎる社会がなくなって、生理痛というハンディも妊娠による産休や育休も、アタリマエにカバーしてくれる社会ならば、女性も「女性」としてではなく、人間として生きやすい社会になるのではないだろうかと思う。

そんな社会、どうやったら作れんのかな。