「普通」の塩梅なんてわからない。だけど若い時はちょっとしょっぱくても食べられる。むしろ美味しいと感じられることさえあるのだ。
気が向くままにたくさんの方法を試して色々調整をして、ちょうどいい塩加減と梅酢の量を決めるのはもっともっと先になってからで良い。
ケンカした友達に連絡を取りたいけど、普通は様子を見るものなのかもしれない。もう少し待ってみようか。
このコスメ欲しいけど、ちょっと派手な色だから浮くかも。普通の定番色にしておこう。
そういったあなたの中にある「普通」の概念は早々に壊してしまったほうがいい。
なぜならば、その「普通」があなたの本心に反するものであるなら、いつか取り返しのつかない後悔をする日が来るからだ。
私にはかつて、友達に会う予定、買いたいもの、行きたい場所……ノートに書き出したのなら、それはページいっぱいを埋め尽くすくらいあった。
でもそれを行動には出せずにいた。例えば本当は赤色が好きで、メイクもバッグも靴もその色が良かった。だけど赤色のものはセールでも売れ残っていることが多い。
私はそれを選びたかったけれど、周りから「派手好きの変な人」「普通は選ばない色を纏う常識のない人」と言われるのが怖くて、定番だという普通の茶色を選んだ。茶色は嫌いだけど、変な目で見られるよりは良かった。
人目を気にして先延ばしにした祖父との約束は果たされないまま
その意識が変わったのは、祖父に美術館の展覧会に誘われた時のことだ。あの頃の私は若さゆえの過剰意識で、祖父と二人で美術館に行くことは普通しない、恥ずかしいと思っていた。
本当は大好きな祖父と大好きな展覧会に行きたかったのに、たったそれだけの理由で忙しいと嘘をついて断る。祖父はそれからも幾度が誘ってくれたが、私は「いつか行こうね」と曖昧にした。
祖父はその後病に侵され歩けなくなり、とうとう美術館には行けないまま死んでしまったのだ。
あの時本音に従って行っていたのなら、ひとつの「楽しかった思い出」となって過ぎていくはずだったのに。行かなかったことで、罪悪感と後悔に責められ続けている。
かつての私も含めて、みんな変わらない平穏を信じすぎているのだ。
明日死ぬなんて思わないし、ふとしたことで縁が切れるとも思わない。だから嫌いな色のものを纏ったまま死ぬとは思わないから、好きでもない色で妥協する。
ケンカした友達のことだって、また来年も再来年も互いに元気だろうと信じているから、様子を見ようなんて思ってる。私はそれが少し腹立たしくて、すごく羨ましい。
今はいいや、と反故にした祖父との約束は、何年経っても私を苦しめている。
自分みたいな思いはしてほしくないけど、ちょっとだけそんな目にあって欲しいと妬む、愚かな私の屍を皆には踏んづけて越えていって欲しい。
「普通」に逆らって色々試して調整していけばいい
もし欲しいメイクの色が派手すぎるかなと思うなら、調和するメイクの仕方を学べば良い。上手い使い方なんていくらでもある。
ケンカした友達に謝りたいのなら、タイミングなど考えず素直に伝えれば良いのだ。本当のベストタイミングなんて結局誰にも分かりはしない。
もちろん「普通」に逆らうことで、時には傷つき、塩っ辛い気持ちになることもある。
でも、そういう時は最初の言葉を思い出して欲しい。
「普通」の塩梅なんてわからない。だけど若い時はちょっとしょっぱくても食べられる。むしろ美味しいと感じられることさえあるのだ。
気が向くままにたくさんの方法を試して色々調整をして、ちょうどいい塩加減と梅酢の量を決めるのはもっともっと先になってからで良い、と。