小学生の頃、友人同士でプロフィール帳を交換した懐かしい記憶

プロフィール帳(またの名をサイン帳)という文化に私が触れたのは、小学生の高学年の頃だ。プロフィール帳とは簡単にいうと、友達に配るアンケートシートの様なもの。それが40~50枚1組になって売られていて、それを友人に配って回収し、集まった回答を読んで盛り上がるのである。

「学校に不必要な物を持ってこない」という小学校ルールにしっかりと抵触しているものの、確か学年末になると先生のお許しが出たような、出なかったような。とにかくクラス中で、あのルーズリーフ状のカラフルな紙が、激しく往来していた。……え?そんな文化知らない?…そんな方はきっと「自作カップルサイト」という文化も、ご存じ無いと思われる……(平成JK黒歴史)。

物の「交換」は、いつの時代も子どもたちを夢中にさせる

なぜ私が急にこんなことを言い出したのかというと、先日、数億年ぶりに何気なく入ったファンシーショップの片隅で、未だにプロフィール帳が売られているのを発見したからなのだ。更にその隣には交換日記も並んでいた。私は懐かしさの波状攻撃に見悶えた(しかも鍵付き!みんなに羨ましがられるやつ…)。

プロフィール帳や交換日記が今も売られているということは、現在それらの役割はSNSにとって変わられつつも、静かに根付いているということだ。他にも懐かしの文化はたくさんある。タイルシール、匂い玉、キャラクターのメモ帳などなど。それらは現代の文化とすり代わり、形を替えて、未だに子ども達の中でトキメキを与えている(たれぱんだやこげぱんの代わりに、すみっコぐらしが流行っているように)。そして私達は幼い頃、友人とそれらの物を「交換」することに喜びを覚えていた。

どうして子どもは「交換」にハマるのだろう。大人からすれば、そんなトラブルの種になりかねないやり取りを、学校でするなよとも言いたくもなる。

しかし我々大人も昔は、みんなみんな子どもだったのだ。だからこそ、バレンタインには親が協力することもあるし、先生達も気持ちを察してスルーしたり、やむをえず没収したりする(そして放課後こっそり返す)。 

私自身は、交換日記を止めがちな子どもだった。数年前実家で、途中のページまでしか埋められていない日記を2冊、発掘しました(謝罪案件)。

また、メモ帳1枚をくれた習い事の友達に、母が買ってくれたドラえもん柄の切手シートをまるごとあげてしまった事があった。母は「切手はお金と同じだから、あげちゃダメなんだよ」と教えてくれたが、私はその時、物の価値について初めて考えた。

中高生になってからは、プリクラの交換が好きで、自分が写っていないものも集めていた。テスト勉強の傍らアルフォートとLOOKを交換したり、カップルでジャージを交換したり。世界史選択の彼氏に世界史の教科書をあげて、自分は日本史の教科書をもらったりもした。アオハルかよ……

コロナ禍の影響で「交換の文化」は縮小するかもしれない

小学生、そして中高生の頃の、交換に関するエピソードの数々を思い浮かべると、どれも甘酸っぱいというか、懐かしい事ばかり。しかし、人によっては交換によって痛い目を見たとか、輪に入れなかったことが辛かったとか、そんな忘れられない思い出もあるかもしれない。私だって覚えていないだけで、交換に関して人を羨んだり、気を使ったり使われたり、してきたのかもしれない。

コロナ禍の影響もあって、「学校に不必要な物を持ってこない」というルールは、おそらく以前よりも徹底されていると思う。小学校では雨の日の過ごし方も変わったと聞いた。トランプや将棋など、短時間であれ物の行き来が生じるゲームが禁止になったところが多いそうだ。それこそ来年のバレンタインだって、全世代で縮小傾向になるに違いない。人と人の間での物の「交換の文化」は、今後少しずつ無くなっていくのかも。

相手の為を思ってお返しする機会を、もっと大切にしていきたい

あなたは最近、誰かと交換をしたことがあるだろうか。物とお金ではなく、物と物で。大人になってからは交換に熱狂することはないだろうが、たまにはそんな機会もあると思う。

私は先日幼稚園のママ共に、ベビーバスのお下がりを頂いた。お返しは何にしよう、お菓子かな?それともママ友の子ども達が使える実用品?そんなことを考えると、なんだか楽しい。

物と物を交換するという行為には、「相手の為を思ってお返しする」というプロセスがふくまれる。そしてSNSの返信やリプ、コーヒーショップのモバイルギフトなんかと大きく異なるところは、それがワンテンポ遅れて相手に届くという点だ。相手がどんなリアクションをするのか想像する、その時間は相手とのやり取りの中で発生したものであり、その積み重ねが、関係性のスパイスになる。

現状、安心して物と物を交換できるのは、日常的に接している相手だけだろう。大人になってからは数少なくなった、相手を思って何かを用意し、手渡すという機会。これからはそんな、物と物の「交換の文化」を、もっと大切にしていけたらいいなぁと思うのである。さあ、もうすぐクリスマスだ。