“からだ”の見せ方が増えた。思いもよらない見られ方もする
SNSで、“からだ”を見られる人数が圧倒的に増えた。
顔、首、脚、ファッション、髪型、メイク、アクセサリー、場合によっては水着やコスプレ。
SNSがなかった時は、同じ空間にいる人にしか見られなかったのに。
その日、その時間、その瞬間、にしか見られなかったのに。
いまは一度投稿してしまえば、消さない限りいつでも見返せる。
“からだ”の見せ方も増えた。
アプリで犬や猫をつけたり、目を大きくして頬を削ったり、リップをつけたり。
画像に色味をつけたりシャープにしたりして、独自の世界観を出したり。
全身の写真か、顔だけか、他撮りか、自撮り棒か。
スマホのカメラか、フィルムカメラか、すごいカメラか。
外、室内、テーマパーク、街中などなど撮る場所も見せるには大切な要素だ。
彼氏風、彼女風?記念写真?変顔?お決まりのポーズ?
色んな事を考えてベストに見せるけれど、思いもよらない見られ方をする。
自分では“盛れた”つもりでも、実はあんまり盛れてなかったりすることもあれば、周りから見たら違う子が載せた写真の方が“盛れて”見えていたりすることもある。
どこの誰にガン見され、どんな視線を投げかけられているかわからない
私が悩んだのは、“体型”だ。
インスタを始めたのが高校1年生の時。
大学2年生から、体重がゆるやかに増え始めた。
私の場合、まず顔、特に目の周りに表れる。
だから、すぐにバレた、気がした。すごく嫌だった。
太った自分はもちろん嫌だけど、どういう風に見られているか怖かった。
バカにされているかもしれない。
長らく会ってなかった人たちの会話のタネになってるかもしれない。
考えたくなかった。
わかってる、そんなに気になるなら載せなければいい。インスタなんてやめればいい。
でも、海外に行ったときや、大好きな友達に会ったときの写真は投稿しておきたい。
SNSは自分の広告ってよく言うでしょ。だから、私の大切な思い出は載せたいんだ。
女子大生なんです、インスタ載せたい欲、すみません、許してください。
誰にどのような視線を投げかけられているかわからない。
友達同士で過去の写真を見せ合ったり、写真を用いて誰かの話をするとき、私が思ってもみない細かいところまでみんなが見ていることに気が付いた。
画像を拡大して、“この子メイクが上手になったよね”とか、“この服着ると太って見えるね”とか、いろ~~~んなこと。覚えられてないけど。
私は、写真の中で自分で気にしていたのは頬と目と前髪だけだった。
頬の面積は狭く見せたい。目は大きい方がいい。前髪は整っていればいい。
でも、私が思ってもみないことを言われた。
足首細いねとか眉毛の形が不自然とか鼻がどうしたとか。
対面でも言われたし、写真を通じても言われた。
だから、太った自分をさらけ出すのが怖い。
自分が載せなくても、だれかが私のことを載せたら見られちゃうし。
感想やフィードバックももらえないし、図らずもカッコ悪い自分を大々的に発表してるんじゃないか、って不安になる。
太ると、もちろん対面でも人に会いたくなくなる。
自分に自信がなくなる。
女の子なら分かると思うけど、歩いてて脚とかチラ見されない?
短いのを履いてたり、スキニーを履いていたりするとなおさら。
二の腕や鎖骨もそうだよね。
わ~~、あの人スタイルいい!とか、あ、この人脚だけ細い人だ、とか、その一瞬のチラ見で色んな事を考えると思う。
太って、それが一番怖かった。
みんなに、私のからだはどう映っているのか。
かつての痩せていた時の私と比べられているんじゃないか。
太ったダサい人、って思われてるんじゃないか。
太っていなくても、チラ見や体型への批判って嫌だよね。
私のダサい太ったからだ、SNSでも何らかの視線を浴びていると思うと、恐ろしい。
どこの誰かわからない人に、いつ、どのように見られているのか、何を思われたのかわからない。
圧倒的な細さを手に入れれば、みんなの視線を圧倒できるのに。どこの誰かもわからない人を圧倒できるって、なんだか、いいな。
そのために痩せたいと思っていた。
でも私の思いとは裏腹に体重の増加を止められなかった。
だから、街を歩いていても友達と写真を撮っても心の底から楽しめなかった。
あくまでも自分のためにからだをつくる。それで満足できたらいい
最近、少しずつ体重を落としてきてようやく写真をアップできるようになった。
私はようやく自分を少し許せた気がした。
確かに私は他人軸で生きているかもしれない。SNSを過度に意識しているのかもしれない。私の投稿なんて実は誰も見ていないかもしれない。
でも、基本的に私は私のことを見れない。
友達に会っている時も、オフィシャルな場でも、人前に立っている時も、私は私のことを見れない。
だから、他人の見られ方を基準にしてもいいと思うんだ。
一般的に他人軸でいることや承認欲求は良くないとされているけれど、別にいいんじゃないかな。
SNSの普及で、他人だけではなく私も自分自身をいつでも見返せるようになった。
これを利用してもいいんじゃないかな。
確かに周りを気にしすぎるのも良くないし、極端なダイエットや痩せすぎも良くない。
細いことを正当化するつもりなんてさらさらない。
他人軸だけど、その不特定多数の他人の“ため”じゃなくて、あくまでも自分のためにからだを作る、っていうのが大切だと思う。
他人のためにやっちゃったら、精神的に参っちゃうよね。
正解も目標も明確じゃないもん。キリがないんだもん。
そこは他人軸になっちゃだめ。
他人から投げかけられる視線の中で、満足できる“からだ”でいられたらいいと思った。
もちろん一切気にしないっていう人もいると思うし、極度に気にしてしまう人もいると思う。
でも、“からだ”に正解なんてない。
でも悲しいことに、外に出る限り他人からの視線からは逃げられない。
私は、ガリガリになりたいと思っていた時もあったけど、今は“普通体型”でいたい。
圧倒的な細さは求めなくなった。
短いデニムも前はよく履いてたけど、前より太ったから履いてない。
太い脚を見られたくないから。
確かに周りを気にしての理由だけど、またいつか痩せたときに履けばいいか、って思っている。
以前のように私の脚を見せびらかしたいと思っていない。私のためのデニムパンツだもん。
体型に限らず、自分を認める、ってそういうことなんじゃないかな。
“からだ”に投げかけられる視線。
SNSでものすごく見られるようになったし怖いことも沢山あるけれど。
SNSに載せちゃったものはしょうがない。
だったら、前向きに活用して自分の好きな“からだ”になって、好きな格好していれば、それでいいと思うんだ。