口に運んだものは、数分後ほとんど吐き出してしまう。まともに消化できるのは、もものゼリーと梅干しのおにぎりだけ。その数ヶ月後には、全ての食べ物が美味しく感じ、ひたすら食べ続ける日々。体重は跳ね上がった。

体毛一本一本が濃く、太くなる。部分脱毛したはずの箇所からも、元気いっぱいムダ毛が生えてきた。それをほぼ毎日剃る。一方、髪の毛はどんどん抜けていく。ブラシには抜け毛がたくさん。ツヤやまとまりなどどこかへ飛んでいってしまった。

生え際に小さなイボが出てきた。薬を飲む事もできないので、そのまま放っておいたらだんだん大きくなって目立つようになってしまった。

日々お腹が大きく成長し、腰が痛み、毎晩足がつり、内臓と肋骨を蹴られる痛みにうめき声をあげた。

私から作られた栄養で、3,000gだった息子は大きく育っている

これらは、妊娠中の私の体に起こった変化だ。短期間に目まぐるしく変わっていく体は、自分のものではないように思えた。心と体が一致していない不思議な感覚を味わった。

そんなちぐはぐな体から、息子が産まれ出た。約3,000gの小さな体。その小さな体を大きく育てる為、3時間おきに母乳を与える。幸い母乳の出はよかった。どのくらいよかったかというと、寝てる間でも勝手に出続け、母乳パッドを決壊させ体の下に敷いたバスタオルをジットリさせるくらいだ。体中の栄養が、母乳に変換されているようだった。

正に身を削っている状態。そんな母乳を飲み続けた息子は、スクスク育った。ほっぺは破裂しそうなくらい膨れ、腕はちぎりパンのよう。自分とは違う生き物だけど、息子を構成するための栄養素は、全て私から作られたものだ。出産の時、ハサミで切られたはずのへその緒が、まだ繋がっているような気がした。まだ私の体は、私のものではないようだ。

生後半年ほどで離乳食を食べさせ始め、だんだんと母乳を飲む量が減り、一歳を過ぎた頃に卒乳した。私の体がようやく私に帰ってきた。ようやく大好きなお酒を飲めて、辛いものや揚げ物も遠慮なく食べられる。自分の体を自由にできる喜びに身を任せ、好きなものを好きなように食べていたら、当たり前だが体重が増えた。こうして私は息子と共に成長していった。

お風呂に入っている時、息子の言葉に「私の心」は打ちひしがれた

数年経ち、私はまた妊娠した。2度目ともなれば、自分の体がままならなくなる事も分かっているので、私はあのちぐはぐな感覚を受け入れる事ができた。比較的穏やかに過ごし、産院の指導の通りに体重を増加させ、出産に臨んだ。2,900gと息子よりほんの少し小さい娘は、息子ほど母乳を飲む量も多くなく、私の体もあまり母乳を量産しようとはしなかった。

当然、体重は増えたままだった。ただ、今はまだ私の体は私だけのものではない。そう考え、食事制限等する事はなかった。

一年が経ち、息子の時と同様に娘も卒乳し、再び私の体は私に帰ってきた。そして、食欲におぼれる日々。たどり着く結果は目に見えている。

そんなある日、子どもたちと入浴している最中に息子が私の体、特に腹をまじまじと見て「お母さんは太ってることに気づいてないの?」と言った。息子の目は純粋そのものだった。

私は「気づいてないわけじゃ、ないんだよ…」と何とか答え、静かに打ちひしがれた。娘は、楽しそうに水面をバシャバシャと叩いていた。その振動は、私の腹までブルブルと伝わってきた。

心と体の乖離を理由に逃げていた事に、後ろめたさ感じていたのかも

私の体から産まれ出た息子は、私と違う生き物としてまっすぐな視線を私に投げかけ、ただ事実と疑問を口にした。それに対し、これほどまでに私が落ち込むのは、心と体の乖離を理由に逃げ道を用意していた事に、後ろめたさを抱えていたからかもしれない。これは子どもたちを言い訳の材料にしていた事と同義だ。

息子の成長を噛み締めると共に、減量を決意した。ままならない事など、もうほとんどない。自ら遠くに追いやってしまった自分の体を、もう一度取り戻さなければ息子にも娘にも申し訳が立たない。

こうして今現在、私は運動に励んでいる。大きく体重が減っている訳ではないが、娘を抱いて10キロ歩いても筋肉痛にならなくなった。息子を背負ってスクワットも10回までならできるようになったし、ついでに夫をお姫様抱っこできるようになった。

妊娠中とは違う体の変化を実感している。自分の体を自分の意思で、変化させるのはなかなかに快感だ。

私に変化を与えてくれた子どもたちは、たまに寝ている私にのしかかって甘えてくる。合計35kg。かなり重い。でも、もっと大きく育ってほしい。