私は大人の顔色を伺う子どもだった。元々の性格はワールドイズマインで奔放だったけど、生意気な口をきく私を母は厳しく躾けた。

おかげで異様に空気を読む子どもが出来上がった。一時期世間では「忖度」という言葉が流行ったが、あれは行き過ぎるとただの呪いになると思ってる。

「ママとパパどっちが好き?」なんて聞かないで

うちの両親は最終的に離婚して、まあ仲が悪かったわけで。父も母も、私と2人きりになるとしきりに尋ねてきた。「ママとパパどっちが好き?」7歳の娘は必死に忖度して答える「ママ(パパ)が好きだよ」
毎回聞いてきた方の名前を答えるのはウソをついてるようで罪悪感いっぱいだった。
「分からない」「内緒」と答えるとしつこく食いついてくるもんだから始末が悪い。

両親に共通してたのは、私の返答を聞いて「そうだよね、ママ(パパ)の方が好きだよね」と満足そうにしてたことだ。正解の解答を聞けて嬉しそうにしてることだった。

あの時の私は2人の気持ちなんてお構いなしにこう言いたかった。「パパもママも同じくらい好き!どうして片方を選ばせようとするの?」

子どもは何も分からないバカではない。

片方を選ぶことは、片方を否定することだ。私は両親の成分を半分ずつ貰って生まれてきた。片方を否定することは、私の半分を否定することでもあるのだ。

ありのままの私を許してほしい

両親が別れた後は父に引きとられた。父は母に会いたいという私を未だに許さない。中学のとき1度だけ「ママに会いたい」と伝えたら「裏切り者」と断罪された。父には内緒で母と会っているが、結局大人になった今も「ママとパパが別れたことと、私とママが親子だという事実は違うはなしでしょ?」とは言えずにいる。正論を言ったら父は何も言い返せないだろう。

「囲師(いし)には必ず闕(か)く」という言葉通り、相手を窮地に立たせ逃げ場を与えないことは後々の恨みに繋がると私は身を持って知っている。

母の代わりに育ててくれた祖母は優しく穏やかな人柄だったが、向けられる愛情には尺度があった。テストで良い成績をとる、家事手伝いをする、目に見えるかたちで良い子の時は手放しで褒めてもらえる。
その代わり、祖母の考えに反対したり口答えをすると途端に「そんな子だと思わなかった、別れた嫁にそっくりだ」と悪い子のレッテルを貼られる。

(都合の)良い子でいることを常に求められた私は、腹の中で矛盾した自分を飼うようになった。父や祖母それぞれの想いがあったとしても、ありのままの私を許してほしい。その葛藤がコップに並々注がれて溢れたとき悲しみが恨みに変わっていた。

父も祖母も家族として愛してるのに恨んでもいる。祖母が亡くなって今尚恨みは消えない。悲しみの先で待っていたドロドロと粘りつく感情は、いつか軽くなったとしても一生私が付き合っていくものだ。

子どもの心は柔らかくて、大人が軽く触れただけで大きな爪あとを残すことがある。幸い私は大人になるまでに沢山の出会いがあって、その中で自分の自己肯定感を高めることができた。

そのままの貴方で大丈夫だと伝えたい

私と似た経験をしてきた人や、現在進行形で苦しんでいる人達へ。
叶うなら1人1人の元にビューン!と飛んで行って皆の自己肯定感を撫でくりまわしたい!ぎゅうっと抱きしめて、そのままの貴方で大丈夫だと伝えたい。物理的に難しいからこの場をお借りして。貴方は今何が好きでどんなことが楽しい?好きな匂い、食べものは何?五感はしっかり動いてる?自分に優しくできてる?

顔も知らない皆へ、貴方が自分を大切にできますように。