カラータイツを買ってみたら、知らぬ間に持っていた内心の醜さに気付かされた。
風が吹いて桶屋が儲かるような脈絡のなさだが、流れはそこまで複雑ではない。単純に、他人を見る目が少し傾いてしまったという話だ。

中高とオシャレに興味のない学生生活を送り、十代の終点まで秒読みとなった最近、ようやくメイク道具を揃え始める。私がそうやって焦り始めた理由としては、このエッセイの題材である「視線」もそうだったけれど、単にコスメの可愛さに惹かれたことが大きかった。
服や靴も同様で、お気に入りのおもちゃを集める感覚で買い始めた。「視線」のことで悩むのは、もう少し時間と段落が進んだところにある。

カラータイツに目を付けたのは夏の頃だった。オシャレ初心者の私が買っていいものかと思ったが、平生から彩度の低いワンピースを愛用していたため、差し色となるそのタイツはとても魅力的だった。
私は購入する前に、自分よりもオシャレを知っている友人に助けを乞い、今までアイラインすら引けていなかったメイクのイロハを指導してもらった。加えて、友人に私に似合う系統の服も見繕ってもらったり、万年メガネだった頑固な拘りを捨ててコンタクトにしてみたりもした。

こうして私が奔走したのは、「周りの視線」と言うよりも「自分の視線」を気にしたからだった。鏡に映った自分が無知のまま「可愛い」を身に付けるのは、その物の良さを引き出せなく失礼だ。アイブロウの存在や化粧水と乳液の違いを最近知った私は、どこかでそう感じていた。

オシャレを学ぶと同時に、人を見る目が歪んでしまったのでは

世間一般に言う「好きな人が出来たから」可愛いを目指した、という訳ではない私は、自分なりのペースで自分なりの基礎を築けたと思っている。という所でようやく本命のカラータイツを思い出し、イチョウの葉が散る頃にようやく店頭に赴いた。ワイン色と臙脂色、芥子色の三種類で千円ほど。冬に備えて80デニールの物を選んだ。それにしては秋色が多いのは、帰って広げて見てから気付いた。

ふと「視線」の存在に気を向けたのは、いざワイン色のタイツを着用して街中に出掛けた時。周りにジロジロと見られたとかいう事ではない。私の視線が自然と、鏡に映る自分を確かめるように、すれ違う人の服装や髪型、メイクを眺めていた。

「この人の顔にはあのアイシャドウ似合いそう」とか、「あの人の着るコートはどこで買ったんだろう」とか、「脚が細いからこそできるコーデ、羨ましい」とか。
ここまでは良かった。いや、ジロジロ見る事は良くないのだが、他人のガワを羨ましがることはカラータイツを買う以前、オシャレを学ぶ以前から行っていたことだ。問題なのは、その後にすれ違った黒髪の同年代らしき少女に感じた思いだった。

「あ、この子よりは私、マトモな格好してるかも」

真っ先に「気持ち悪い」と自分を非難した。ぱっと目を逸らせて、そう反省出来たのは不幸中の幸いだろう。
今の行為はSNSや人混みで見る、女性をモノとして扱う男性と同じレベルではないのだろうか。私はオシャレを学ぶと同時に人を見る目が歪んでしまったのではないだろうか。度数の高いコンタクトにしなければよかった、とコンタクトレンズのせいにしてみたりもした。

いっそすれ違う人全員にそう感じるのならば、逆に清々しく街を歩けるのだと思う。けれど私はそこまでの自信を有していなく、自らの可愛さを自覚して歩く女性の前では俯いてしまう自信がある。私はこのまま少し知識を得ただけの、卑劣で臆病な人間に成り下がるのだけは嫌だった。

ずいぶん前から、鏡を見るのも苦手で。自分そのものを見たくなかった

本当はずいぶん前から、鏡を見ることすら苦手だった。写真も強制されなければ一切写ろうとしなかった。もちろん整っていない顔が嫌いなのだけれど、それ以上に顔のパーツ云々ではなく、自分そのものを見たくない。
そして「本当に外に出ていい姿なのか」を問う相手である鏡に対して向ける視線を、あろうことか名前も知らない他人に投げてしまった。「普通」を測れない事象なのに「マトモ」だろうと勝手に判断してしまった。

何より恐ろしいのが、すれ違う他人もこれと同じ感情を抱いているのかと思ってしまうことだった。彼らがその感情を「気持ち悪い」と思うかどうかは知らないが、感じ取られた印象は間違っていないだろう。私は自分自身にも、関わりのない他人にも良い人でいたかった。

話は逸れるが、私は元々考え込みやすい性格なのだと自覚している。それに対して親はよく「若いから」と言ってくる。「歳を取れば、そんなことどうでもよくなるよ」と。年齢に対して精神が幼いということは原因であり、親の言うことも一理ある。しかしそんなものかと思い込むけれど、正直今悩んでいることへの解決法ではない。どうでもよくなる事実を聞きたいのではなく、どうでもよくなる前の対処法を知りたいのだ。

閑話休題。内面の醜さに気付かされた私だが、その日を境にメイクをやめたという事はないし、気に入った「可愛い」を集める行為は続けている。きっと自分への自信のなさが最大の原因なのだろうが、こればかりはどうしても一日でどうにかなる代物ではない。
最近ガタガタだったアイラインが、ようやく一本の線として引けるようになってきた。視線の件も、そうやって徐々に慣らしていく他はなさそうだ。

例のカラータイツは、買った日から変わらず愛用し続けている。現代は冬風が吹いたら桶屋よりも、靴下屋に利益が回りそうだ。そんなタイツは私が最初に感じた通り、黒ばかりの生活の差し色として健気に活躍している。