「浮気」はどうして駄目なのだろうか。「人を愛する」とは何なのだろうか。
私に初めての彼氏ができたのは何を隠そう、まだランドセルに背負われているようにすら見えた、小学校低学年の時である。そして、私の「浮気」がきっかけで一年後くらいに別れて以来、今日に至るまで「恋人」という存在はない。

初めての小さな恋は、私の浮気が原因で彼氏からの絶交宣言で終わった

字面で見ると、なかなか危ない小学生に見えるような気もするが、特にそんなこともなく、普通に明るく健全な女の子だった。お付き合いのきっかけも、相手方が私のことを気にしているという噂を昼休みに校庭の隅でお喋りしていた時に聞き、誰かに恋愛的感情を抱かれる、というのは初めての経験だった私は好奇心半分、勢い半分で告白し、奥手な相手と勝気な私の見事カップル成立、という訳である。

時間が合えば一緒に家に帰り、席替えで隣の席になればドキドキし、というなんともまあ可愛らしい私たちだったのだが、何があったというのか。私は、同じクラスにいた勉強もスポーツも良くでき、なおかつ性格も良くて格好良いという、非常に魅力的な他の男の子に惹かれるようになってしまったのだ。
しかも、「彼氏」への愛情も同時に維持していたので、言ってみれば気持ちの上では「二股」状態だった。自分から友達にぽろっと漏らしてしまったのかもしれない。
すでにクラスの分かれていた私の「彼氏」にもこのことが伝わったようで、ある日、共通の友達を通じて「絶交宣言」をされた。

浮気ってそんなに駄目なの?小学生の頃から解けないこの疑問

このとき、ある意味救いようのないことに、私にはまったく罪悪感が無かった。悪いことをしたつもりもなかったので謝る気もさらさらなかった。こういうことが嫌なら最初から嫌だと伝えておいてくれれば良かったのに、と感じた。
ただただ驚き、浮気なんて言葉は知らなかったものの、自分の行為は相手にとっては「絶交」レベルで不快なものであり、どうやらこれは世の中では認められていないものらしい、と感づいただけだった。

しかし、小さな脳みそでよく考えてはみたものの、どうして複数人の人に愛情を向ける行為が「浮気」として糾弾される対象になるのかは理解できなかったし、正直な話、今でもよく分かってはいない。ただ、不必要に相手を傷つけてしまうのは心外なうえに、こんな風に自分の感情まで規制されるくらいならば、もうカレシなんていらない!と思った末に今に至る。
私は、自分にモラルが無い人間だとは考えていない。人の悪口は絶対に言わないし、常に良心に従って正々堂々としていたい。しかし、この「浮気」をしない、というのがどうしても私にとっては無理な注文なのだ。

どうして他の素晴らしい人が現れても、ある一人を愛し続けなくてはいけないのか。何人もの人に同時に恋愛感情を抱くことはおかしいのか。なぜ、誰かの恋人であるというだけで、私の行動や感情まで制限されるのか。

浮気とは?愛するとは?この未解決問題を一緒に取り組んで欲しい

今の世の中の恋愛・結婚システムは私にとっては非常に不自然で不自由なものに感じられる。何か素晴らしい人や物に出会い、感動し、心を奪われ、自由に愛をその対象に向ける。「浮気」だって「普通の恋」と何が違うというのだろう。このプロセスの方が、私にとってはよほど自然なように感じられる。
そもそも、相手のことを束縛したくもなければ、自分を束縛させたくもない。もちろん、色々なルールがあるからこそ、秩序が保たれているということはよく理解している。それならば、私はこのシステムには合わないタイプの人間なのかもしれない。そのシステムの中に異分子が介入することが問題となるだろうことはよく理解している。

誰かを不用意に傷つけたり、家族に対して迷惑をかけたりすることはあってはならないことだとすら思う。それゆえ、一般的とされている「恋愛」からは最初から意識的に距離をとっている。
だって、浮気をしないなんて無理だし、そんな窮屈な関係に閉じ込められたくはないから。もちろん、結婚願望も無い。

それでもなお、「浮気」に関する芸能ニュースを耳にしたり、言い寄ってくる人を丁寧にお断りしたりするたびに、疑問や心もとなさを感じてしまうことはある。このエッセイを読んでいる方も、心をまっさらにして、「浮気」だとか「恋愛」なんて言葉を忘れて、当時小学生だった私と一緒にこの未解決問題に取り組んでみてほしい。
「浮気」はどうして駄目なのだろうか。「人を愛する」とは何なのだろうか。