私は昔からある言葉を掛けられてきた。「優しそうだね」これだ。
私にそうやって声を掛けてくれる人にきっと悪意はないのだろう。しかし、私はいつからかその言葉をプレッシャーに感じていた。そして、そのように声を掛けてきてくれる人を恐れてしまった。
よく言われる「優しそう」とは真逆の私がこの言葉を背負っていいのか
優しいとは何をもって言うのだろう。
過去から現在まで、自分の写真を見返してみた。写真に写る私はどれも穏やかそうだった。それは私の丸顔からか、丸い目からかそれとも低身長であることからなのか自分でそのような視点を持つことは難しく、それ以上は考えられなかった。
私は正直、その優しいという言葉に含まれている一般的なイメージとは真逆の性格も持っている。外で見せる綺麗な部分があっても、どこか卑屈でどうしようもなくだらしない人間だったりする。そんな私がその「優しそう」を背負っていいのだろうか。
私は現在20歳の大学2年生である。今年はやったことのないことをしようと夏季休暇に学童保育のアルバイトをしようと決めた。
私は学童保育のアルバイト、学童保育アルバイト面接、など様々なキーワードで調べてみた。そこには面接は厳しいから、ちゃんとした服装で行きなさい、受け答えはきちんとしなさいなどと書いてあった。
私はその言葉に緊張しながらも学童保育のアルバイトに応募し、後日面接に来るように言われた。面接当日、私はとても緊張していた。心配でたまらなかったから聞かれそうな質問を書き出して声に出して受け答えの練習をしたりした。服も自分が持っているシャツの中で一番新しい綺麗なものを選んだ。
会場に着き、部屋に通される。面接担当の方に挨拶をして、お互い椅子に座るとすぐに言われた。
「優しそうな方ですね」
私がその言葉を言われるようになったきっかけは、容姿への指摘だった
私はその時、頭の中が真っ白になってしまった。その人は善意で言ってくれているのは分かっていた。でも、その言葉をからだが拒否してしまった。
そしてその後の面接は練習していたように上手くはいかなかった。しかし、面接担当の方は「あなたは優しそうな方だから働いて欲しい」と言ってくれた。私の心の中は色んな感情で埋め尽くされていた。
「優しそう」には小綺麗にしているかも関わってくるのではないかと思うことがある。
私は昔から何となく身だしなみには気をつけるようにしていた。それは、周りの人に私の容姿について言われることが多かったからだ。
家族、友達、先生。みんな私のことをどう思って私の容姿に触れていたのだろうか。荒れやすい肌はよく指摘された。生まれつき髪の毛が生えていない箇所を馬鹿にしてくる人もいた。食事をするとぽっこりと出てしまうお腹を見て、デブと言ってくる人もいた。
それらを言う人はみんな笑っていて、私も笑いながら何とかしてきた。でも、いつも心は泣いていた。だから、変わりたいって思って肌にお金をかけて、植毛をして、ダイエットをした。
でも、それで何かが解決するわけではなかった。その人達はまた違う私のからだの弱さを見つけて言ってくる。そして私はまた笑ってしまう。
だから昔から「優しそうな人」だった。
自分に似合うものを見つけ、私にしかない私を愛せるようになれた
しかし、最近こんな自分を好きになることができた。それは自分に似合うものを見つけたからだ。
今まではいかに自分を普通に見せられるかと考えていた。しかし、大学に入学し様々な人と関わる中で自分を出していいのだと感じた。
生まれ持ったものを生かしたいと思って私は今まで髪を染めたことがないし、カラーコンタクトをつけることもない。でも、それでいいのだ。私は今のわたしと今のからだを愛せるようになったから。
私は私のからだを好きになるまで長い時間がかかってしまった。しかし、それはこれから生きていく長い時間の中で必要な時間だったのだと思う。だから、私にしかいない私を愛してこれからも生きていこうと思う。