「クリームパンみたいだね」
外食中、何気ない会話の中で急に言われた。

母は、悪びれる様子はなく言った。悪口でなく、『羨ましい』が続いた

肌が白く体毛も薄い。普通体型だが、ほっぺたなどには肉がつきやすく、腹はへこんでいるのに顔のせいで太ってみられがちではある。とはいっても痩せているわけではないので否定もしないけれど。ムニムニ、といわれるのは許せるがムチムチというと許せない。そのわずかな違いも気になるお年頃の私は、それが身体に関する発言だとすぐに気づいた。ギロリ、と母のことを睨むと今度は「なんかモチモチしておいしそうな手をしてるね」と悪びれる様子はなく言葉を続けた。

絶対に顔やフォルムの話だと思っていたのでハテナが浮かぶ。つまりは手に肉がついていて、握った時の拳の形がちょうど山形になっているモチモチとしたクリームパンに見えたらしい。
悪口かと思いきや、その後に続く言葉は『羨ましい』だった。手は年齢を表す。だからいくら若く見えても手の甲を見ると年齢がどの程度かわかってしまう。このクリームパンは血管も見えないしシミもシワも目立ちにくい。だからその手は幸せだよ、なんて話されたが年齢が若かったせいもあり、なんだそんなことか、とその時は思ってしまった。

周囲に「手を見て」と言うようになった。クリームパンは便利な言葉

それから私は周りの人の手を気にするようになった。確かに人の年齢は見た目によらないかもしれない、と思った。腹や足が気になるのなら体型がわからないような服を着ればいいし、顔だってメイクして誤魔化せる。だが日常生活において手を隠すことはなかなか不可能な話なのではないだろうか。そう思うとこの手は便利だな、とは思った。

クリームパンが絶対に褒め言葉ではないことはわかっていた。だが可愛らしいネーミングで気に入ってしまったのは私がパン好きだったからかもしれない。いや多分そんな安易な理由ではないと思うが、これといってチャームポイントのない私にとって、これが結構便利な言葉だったからだ。気に入ってしまった私は周囲に自ら「手を見て」と言うようになった。「私太ってるんです」なんて話すと周りは気を遣うし、なんとも返答しにくい。それが「手がクリームパンなんです」と言うだけで、なんとも反応が様々になった。笑って肯定する人もいれば、否定する人、返答に困る人もいた。肯定する人とはこのおかげで早く打ち解けるこもできるようになったが、反対にその他の人には反応に困らせる発言でもあったので自分で楽しむのはいいが、他人を巻き込むのはやめようと思った。そして素直に痩せようと思った。

また、自分発信なら良いが、友人が私のことを紹介する時にこの話をされるのはイラッとする。その時改めてこの言葉は褒め言葉ではないと自分自身で気づくのだった。
血管が浮き出たゴツゴツした男性の手は自分にないものすぎて魅力を感じるようになった。女性の手でも、綺麗なマニキュアに伸びるスラリとした指に憧れた。やはり自分はまだ見ぬ未来よりも今痩せたほうがいいと思ってしまうのだ。

突然、別れはやってきた。あんなに細い指と綺麗な手に憧れたのに

プロポーズされて指輪を渡された時。サプライズだったのでサイズが合わず指にギュギュッと押し込んだ指輪を見た時、さすがに恥ずかしさとせつなさでいっぱいになった。鏡をみなくても、ふとした時に手を見るだけで肉がついていることがわかるので、幾度となく痩せたい、と思ったが、クリームパンは頑なに私から離れようとはしなかった。

なのに突然、別れはやってきた。結婚して私の生活は変わった。家事や洗濯、水仕事が増えた。そして妊娠して私の体は変わってしまった。単純に言うとつわりで体重が落ちた。望んでいた通りになったのかもしれない。がしかし、いつの間にかクリームパンもいなくなってしまったのだ。骨の筋も血管も浮き出ている何も特徴のない手。おいしくなさそうな手。あんなに細い指と綺麗な手に憧れたのに。ないものねだりなのかもしれないけれどいざ失ってみると寂しくて。戻ってきてよ、クリームパン。