身長160センチ、体重85kg。服のサイズはXXXL。
ふっつーにデブ。そんな私の仕事は、ダイエットサプリを企画すること。

嫌なことはあった。それでも体型については本当に何も思わなかった

昔からデブだったけれど、そのせいで病みすぎるということは全くなかった。

環境が良かったと言えばそれまでかもしれない。私が太っているというせいで虐めたりとかからかう子もいなかったし、私自身、そのせいで酷くネガティブになることもなかった。健康診断でお医者さんから「もう少し痩せましょうね」と言われる時は少し嫌だな、と思うぐらい。でも本当に、それだけ。

私は別に特別ポジティブなわけではない。
両親が信仰している新興宗教に対しての嫌悪感で泣く夜もあったし、多嚢胞性卵巣症候群のせいであごひげが生えてくるのだってもう死ぬほど嫌。でも、それでも体型については本当に何も思わなかったのだ。

着られる服は確かに少ない。試着室でがっかりすることもある。でも、その服はたまたま着られなかっただけ。私にふさわしい服はもっと他にあるはず。

デブがいるって視線が嫌? でもそう思ったってすぐに痩せることなんて出来ないし、世界には美味しいものに溢れているんだから仕方ない。でしょ?

その考え方が少しずつ変わったのは、今の会社に転職してからだ。

ダイエットサプリに今まで縋ろうと思ったことがなかったので、そういったものが──中には過激な広告と共に──売られているということをそこで初めて知った。そして私は、自分の体型を見つめ直す時が来たのだ。

向き合う時が来た。見て見ぬふりをし、考えないようにしていたけれど

その瞬間はいつだってある。新しいサプリの企画ミーティング。他社のダイエットサプリの調査を行う時。どういったダイエットサプリの広告が世の中で出回っていて、どの要素がウケているのかを考える時。そう、どうやら私の体型はだらしなく、怠惰の象徴で、醜いらしい。「細い」ことを正義だと定義して仕事を進める必要がある中で、私はとうとう周りの視線が気になりだしたのだ──お前が「痩せろ」と言うのか、と。

私は、私の仕事に誇りがある。それにこれでお金をもらっているし、仕事に不満はそこまでない(きっとこれを読んでいる方は「そんなコンプレックスを煽る仕事なんて辞めちまえ」と思っているだろうけど)。

とどのつまり、私は太っているということに対して今まで向き合っていなかったのだ。見て見ぬふりをして、考えないようにしていた。勿論、これだって立派な処世術だろう。考えることを止めることは悪いことではない。

けれど、私はそのままじゃいられなくなった。しっかりと、向き合わなくてはいけない時が来たのだ。

自分の健康のため。ちゃんと理由があれば、他人の視線は吹き飛ばせる

まず、痩せた方がいいのか。これはそうだろう。お医者さんに痩せろと言われているのだから、それに従った方が良い。私は長生きしたいし、基本的にずっと健康でいたい。痩せる理由は自分の健康のため。うん、それならしなくちゃな、という気持ちになれる。

じゃあガリガリになるべきか。目の前のパソコンには、痩せるのが正義だというサプリの広告が表示されている。お前がダイエットサプリを作るのかという、無言の視線を思い出した。

けれど、私が痩せるのは健康になるためだ。他の誰かのためじゃない。太っていることを気にしたきっかけではあるものの、最後のゴールはそこではない。それに別に太っている人間がダイエットサプリを作ってもいいのではないか。太っている人間のことは太っている人間しか分からない。

私の業務の中には、顧客向けにDMを書くというものもあった。そうだ、そこでサポートをしよう。自分で痩せる経験を作れば、きちんとアドバイスが出来る。

そう考えてから、少しだけ、自分に対してかかっている重力が緩まったような気がした。それから筋トレと有酸素運動、食事制限を始めた。2か月でマイナス5キロ。急激に体重が落ちすぎることもない、健康的ないいペースだと思う。

思考を整理し、自分自身にとって何が大切で、それは何のために行うのか。それは自分にとって有意義なのか、無駄だけどすれば楽しいことなのか。

ちゃんと理由があれば、他人の視線なんて吹き飛ばせる。だから、今日も、頑張ろう。