中学生になったぐらいから、友人に、目が大きい、とか、二重でうらやましい、と言われるようになった。多くの人が、自分の見た目を急激に意識し始める時期を体験すると思う。私もそれまでは自分の目が二重だとか大きいかどうかなんて気にしていなかった。自分の目を褒めてもらうのは、単純に嬉しかった。今までなんでもなかった自分の目が、少し特別なもののように感じ始めた。

おばあさんが急に言った「目がきれい」に、強い意味があると感じて

 自分の目に対する特別視が確固たるものになったのは高校1年生の時だった。友人と2人で電車に乗って隣県まで遊びに行った。初めて利用する駅でバス乗り場が分からずあたりをきょろきょろしていたら、急に一人のおばあさんが話しかけてきたのだ。
「あんた、目がきれいねぇー」
びっくりしてどう返せばいいかわからずにいたら、おばあさんは
 「ごめんね、あんまり目がきれいだと思ったからー」
と言い、私が慌ててお礼を言うと、そのまま歩いて行ってしまった。きっとたった一言のお礼ではあの気持ちは伝わりきらなかっただろう。衝撃的な嬉しさだった。大きくて、とか二重で、とか、涙袋とか睫毛がどうとかでなく、「目がきれい」という漠然とした言葉がかえって強い意味を持っているように感じた。


 そんなわけで自分の目は好きだったが、それでも弱点があった。生理で顔がむくんだりうつぶせで寝てしまったりすると、右目が一重になってしまうのだ。いわゆる片二重まぶただ。くせがついてしまったのか、一重になるのは必ず右目。鏡でみると、目が明らかに非対称でおかしい。普段は両目とも二重なのに突発的にそんな状態になるから余計に気になってしまう。初めは、気にしながらも、どうしようもないと思っていたのでそのままにしていた。学校で友人と話すときには、変だと思われているんだろうな、という意識が常にあった。何度も鏡を見ては、瞼をちょっと引っ張ってみたり何回もまばたきしたりして、早くもとに戻らないかとばかり考えていた。

アイプチという解決策に出会ったけれど。また問題が発生した

 どうしようもないと思っていたのはかなり短期間で、すぐにアイプチという解決策に出会った。一重になってしまった右目はさっと元通りになって、1日中鏡を見てはもやもやするということもなくなった。
 けれどまた問題が発生した。大学生になり少しいいお値段のするアイプチに変えようと思ってしまったのがいけなかった。それまで使っていたものは何の問題もなかったのに、別のアイプチを使うようになったとたん、瞼が赤く腫れ、ヒリヒリと痛痒くなってしまったのだ。皮膚科に行くと、肌に合わなかったのだろうと言われ塗り薬を処方された。おかげで痒みはほとんどなくなったが、瞼の皮膚が伸びてたるんでしまったのか、何日経っても二重に戻らなくなってしまった。今までなら1日か2日で戻っていたのに…。もうずっと片二重のままなのだろうか…。鏡を見るたび気持ちが落ち込むのがわかった。薬をもらって治療中なのだから、もうアイプチは使えないし下手に何かして悪化させてはならない。今度こそ、もうどうしようもなかった。

 気が付くと、また中学生に戻ったかのように一重になった瞼を触ってみたりまばたきをしつこく繰り返したりしていた。大学に行く前に、バイトに行く前にと、とにかく人と接する直前になると右目の一重が気になった。特に、一番憂鬱だったのが彼氏とのビデオ通話だ。彼と私は遠距離恋愛をしていて、週に1、2回はお互いの顔を見て通話するようにしている。何か言われるかな…と重い気持ちで通話を始めると、予想に反して彼は私の目については何も触れず、いつも通りの会話だった。気づいてないのかな…それとも気をつかって何も言わないだけで、やっぱり変だと思っているのかな…と悶々とした。何度通話を繰り返してもやはり彼は私の右目について何も言わなかった。

彼氏が放った言葉で、漠然と前向きな気持ちになれた

 右目が二重に戻らなくなって1か月くらい経った頃、いつも通りビデオ通話をしていたら、彼は急に思いだしたかのように、「そういえば、なんか片目だけ一重になったよね!」と言い出した。正直、今更…とは思ったけれど、恥ずかしさとかショックとか負の感情は生まれてこなかった。反対に、自分が気にしていた事実をあまりにも軽く指摘されて、自分がそれを重く考えすぎていたことに気づいたら、漠然と前向きな気持ちが生まれたような気がした。それは、急に右目が変わったことなんて全く気にしなくていいのだ、とかいうきっぱりとした正の感情とまではいかない。

けれど、自分の見た目の変えられない一部よりももっと他に、意識を集中させるべきことや良くしていける部分があるのではないかと思えるようになった。自分の右目よりも、彼との会話を思いっきり楽しんだ方が楽しいに決まっているし、髪に注目してもらえるようにケアをもっと頑張ったっていい。それでもちょっと見た目が気になってしまうなら、ビデオ通話のエフェクト機能を駆使してごまかしつつふざけて遊べばいい。

 自分の右目に対する他人の感情なんて、言われるまでわかるはずないし、変えることもできない。そもそもなんとも思っていない可能性だってある。いやむしろ、なんとも思っていないことの方が多いのだろう。でも、自分の感情も、考え方もわかるし変えられる。見た目だって努力や工夫で変えられるところもある。大切なのは他の人がどうこうじゃない。結局、まず変えなければいけないのは自分なのだ。
 自分が大きく変わったのは自分の目に対する意識だと思う。もちろん今でも自分の目は好きだし確固たる特別視も健在だ。でも、二重だから、大きいから、この目は特別なのではない。自分の目だから特別なのだ。高校1年生の私にあのおばあさんがくれた「きれい」という言葉の中には、そういう意味も含まれていたのではないかなと思う。