「手足が長くて羨ましい~」
「身長が高いと、綺麗だよね」

幼いころからそうだった。
特に気にするわけではなかったけど、自分の身長が高い部類に入ることは自覚していた。
本当にそれだけだったはずなのに。

卒業アルバムが、私にどうしようもないコンプレックスを植え付けた

卒業アルバムに載った、人生半分分の写真が、私にどうしようもないコンプレックスを植え付けた。
すごく高いわけではないけど、友達と並ぶと少しだけ高い目線が私は嫌いだ。
理由は単純明白で、可愛くないから。

遠足とか運動会とか、アルバムに収められたそういう何気ない一コマのすべてに写った、身長の高い私を、私は可愛いと思えなかった。私の知らない、私の世界。「ちょっと高い視線」だった私は、周囲から「なんか浮いている」存在だった。これは、私の意見だろうか?それとも見た人誰もがそう思うのだろうか?わからなくて、写真の浮いている私が、可愛いとは言い難い私が、私の知る私になった。

一人だけで見るなら、確かに手足が長くて、洋服もちゃんと似合うんだろう。少なくてもそういう類の悩みはないのだから。雑誌のモデルさんを見ても特別にスタイルがいいと思わないのは、彼女達と私の体系が、肉付きは別にしても私と似ているからなんだろう。そして、それでいいと思っていた。だって、モデル(”お手本”)なのだから。

集団行動が苦手になった。目立つのに自信がなさそうで暗いイメージに

でもそれは、誰もが憧れるお手本を映すためにたくさんの努力が成した結果のひとつだった。身長が高いという事が客観的にどういう事なのかを知ってから、私は集団での行動が苦手になった。どうしても集団で動かないといけない時は、出来るだけ目立たないように人に紛れるようにしていた。
それでも、撮られた写真はやっぱり「なんか浮いている」私を映していた。
「目立つのに自信がなさそうで暗い」私の中の私はそんな風に形を変えた。

客観的に可愛くないと自覚した私は、いろいろな事に臆病だ。小柄で可愛い同性を目にするたびにこうなれない自分を思い知るし、いつの頃からか可愛い自分なんて想像もできなくなった。
周囲の可愛い子に負けないように、学校でも今もひたすら同じ舞台に立たないことを考えている。

こんな私は、誰のための私なのだろうか?
「かわいらしくてちゃんと自分を好きになれる」という私の思う理想の私にはなれない。それはどうしようもない事実。なりたい私となれる私、その二つがうまく合わない私は少しだけ不幸だ。周囲から浮いた私の映る写真の私に、私以外の人はどんな印象を抱くのだろうか?

私は私の知識でしか想像できないから、どうしたって可愛くは思えない。この先、もっといろいろなことを経験して、その過程でいろんな視点が増えて、私のコンプレックスが気にならなくなる時が来るのだろうか?

私のなりたいとなれるが合う時が。あるいはなりたい私をあきらめる日が。
この先の私がどちらの道を通るのかは分からない。けれど私のために好きな私を選べるように。日々、私の嫌いな私と、私が苦手な社会を生きていく。