今年の夏、人生で初めてショートカットにした。うなじが全開で、ギリギリ耳にかけられるぐらいの長さに思いきって切ってみた。自分のコンプレックスだった跳ねやすい髪を縮毛矯正で克服して、髪色は8月の日差しに透けるオレンジ系の茶色にした。

新型コロナウイルスの流行で、一切外出せずに生活していた私は、髪を切る数日前に久しぶりに人間界に降り立った。4か月ぶりぐらいに出社すると、新入社員たちとの顔合わせがあった。長い前髪が視界を覆い、毛先が跳ねまわった姿での「はじめまして」にショックを受けた私は、即美容室の予約をとった。

毎日気が滅入るようなニュースばかりだったし、ちょうど7月末に1年ぐらい付き合っていた彼氏と別れたので、気分をリセットしたかった。新型コロナウイルスが流行していて、遠出したくなさすぎる私とひたすら会いたい彼との価値観の差が別れた理由の一つだ。未知のウイルスの流行の渦と共に消えていった元彼を忘れるために、全て切り落としたかった。

髪を褒められて一番嬉しかったのは宅配便のお姉さん

髪を切って初めて出社すると、まず新入社員の女の子が「あのっ」と一瞬間をおいて、少し勇気を出した感じで褒めてくれた。それをきっかけに男性の先輩社員の方々も褒めてくださった。課長まで、少し言いにくそうに「似合っているね」と言ってくださった。真面目すぎて冗談を言えないことがコンプレックスの私も「髪なくしちゃいました」と、いつもよりおしゃべりになった。

一番嬉しかったのは、宅配便の配達員のお姉さんに褒めてもらえたことだ。
「ショートカットにされたんですね、似合われてますね」私はこの言葉を、チューイングガムを噛むように、何度も思い出して元気をもらっている。
入社一年目の時は毎日の荷受けが、私の担当だった。内勤で外の人に会わない私は、社外の人であるお姉さんと顔を合わせることを内心とても楽しみにしていた。
いつもはきはきと受け答えをしてくださるお姉さんに対して、私も丁寧に接することが、なりたい人間に一歩ずつ近づけてくれているように感じていた。
二年目になって、緊急事態宣言下で出社もしておらず、一年目の子に担当が変わったため、お姉さんと顔を合わせたのは本当に久しぶりだった。

この世界でたくさんの人と言葉を交わして生きていきたい

髪を切ったことで、こんな世の中になっても、やっぱり私はこの世界で、沢山の人と接して生きていきたいと思えた。少し気分が上向きになることが積み重なった先に、毎日を楽しく生きている私がいる。
新しい髪になって街を歩く時、世界はスローモーションになる。フィルターがかかったみたいに少し明るい景色になるし、周囲を歩く人たちも前を向いて歩いているように見えてくる。
そんな嬉しい気分の時に、そばにいて、言葉を交わしてくれる人たちがいれば、自分の人生は素晴らしいものだと胸を張れる気がする。

元彼にも宅配便のお姉さんにも同じく時は流れている

髪を切った後に、一度だけ元彼とすれ違った。雑踏の中、隣の人とマスクの下でも楽しそうに笑う彼は、こちらを見向きもしなかった。
全く違う見た目になっていた私に、気付いてすらいなかったのだ。
仕事で疲れ切っていると常々話していたけれど、あんな笑顔も見せるんだ。責めるわけではなく、私は淡々と受け止めていた。
LINEには別れてから数週間は「泣いて毎日を過ごしている」とか、「どうしても忘れられない」とメッセージが届いていた。
私の中の元彼は、理不尽にも思える問いかけをした彼、未練がましい彼で止まっていたけれど、私がショートカットになったのと同じように、元彼の中でも全く同じ時が流れていた。

宅配便のお姉さんにも、全く同じ時が流れている。一年目の頃はショートカットだったお姉さんの髪は、肩を少し過ぎたぐらいの長さになった。
無理やり結んで少しほつれた髪を見て、すれ違った時は、いつもより少し明るい声で「お疲れ様です」と言うようにしている。そして、いつかお姉さんが髪をショートカットにしたら、私も同じぐらい素敵な言葉をかけたいと思う。