幼い頃から、おしゃれが大好きだった。小学2年生の頃にはメイクをして学校へ行っていた。高学年になると、化粧品に化粧水、除毛クリーム、アクセサリー等、お小遣いのほとんどはおしゃれの為に使わせてもらった。

しかし、同時に自分の中に違和感が生まれ始めていた。周りの子たちが気にして塗っている日焼け止めを、私は一切塗らなかったのだが、その理由が、「まだ子供なんだから、子供らしくいた方が素敵だ。子供らしくいるべきだろう」である。恐らく、私は、子供としておしゃれを楽しみたいだけであって、大人になりたいわけではないのだ。…と、自分に言い聞かせてはいたが、違和感は消えない。日焼け止めは、肌の為にも欠かせない美容用品であるはずなのに…。この頃から少しずつ、自分の中で処理しきれない事が増えていった。

ボロボロになった肌。もう、女性として完璧な姿ではいられないの?

当時放送されていたテレビドラマの、男子高校生のヤンキーに憧れを抱き、いつかは自分もこうなりたい、と思ってしまった。思い返せば、幼い頃から私が憧れるアニメやドラマのキャラクターは、いつも男性であった。可愛くなりたい、という気持ちに反するように抱く、憧れの対象。私は、男性の様になりたいと思っているのか。だとしたら、なぜあそこまで、女としてのおしゃれを楽しめているのか。私が理想とする姿はどちらなのか。

そんな疑問を抱きつつ、高校へ進学した頃、私は、重度のアトピー性皮膚炎になってしまった。医者の話によると、もともとアトピーの症状はあったようなのだが、私も家族も、汗疹か何かだろうと気に留めていなかった為、病院を訪れる頃には、とても悪化してしまっている状態であったらしい。全身、痒くて仕方がなく、常に傷だらけで、制服のシャツには血が点になって滲んでいた。

化粧水をつければ肌に沁み、ボディクリームを塗れば痒みが増す。メイクなど、とても出来る状態ではない。「ああ、もう私は、女性としての完璧な姿ではいられないんだ」と、
ショックを受けたと同時に、ある思いが生まれた。「女性としての完璧な姿でいられないのであれば、女性でいたくない」と。更に、「自分が思い描く“女性としての完璧な姿”よりも、“男性としての完璧な姿”の方が、今の私には近づけやすい」と。
身長は男性平均以上あり、骨格もしっかりしている。身体は傷だらけ、メイクも出来ない。とあれば、恐らく、男性らしい見た目で、男性らしく振る舞っていた方が、周りからは自然に見られるのではないか。

男性らしくいたい。でも、女性らしくもなりたい。本当の自分はどこ?

丁度、当時所属していた演劇部で男性役をすることになった、というきっかけもあり、まず、髪を切った。ずっと長く伸ばしていたのだが、恐らく人生で一番短いであろう髪型にした。服も男性物を買うようになった。ここで面白かったのが、男性らしくなるように、と、無理矢理自分を変えていったというよりは、自分が変化していく様を楽しんでいる自分がいたということだ。以前憧れていたドラマの登場人物のように、最近憧れ始めた男性アイドルのように…。服装、髪型、仕草、言葉遣い、様々なものを真似ていった。やはり、私は男性のようになりたかったらしい。
すっかり男性らしさを求めるようになったわけだが、何とも不可解、恋をした男性には「可愛く見られたい」と思ってしまった。いよいよ自分で自分が分からない。その方が自然に見られるだろうと思っていた男性らしい格好や振る舞いも、周りから見れば寧ろ不自然なのではないかと思えてきた。しかし女性らしい格好は出来ない。…する勇気がない。…自信がない。私の様な体格で女性らしい格好なんてしたら、笑われてしまう。男性らしくいたい。でも、女性らしくもなりたい。気持ちがぐちゃぐちゃだった。

そもそも、なぜ私はこんなに自分に自信がないのか。
私は、基本的に物事に対してポジティブ思考が働くのだが、自分に対しては極端にネガティブになる。人目に触れることに、申し訳なささえ覚える。こんな醜い身体を晒してしまい申し訳ない、と。何年となく、長いこと悩み続けていた。

偏見の目で見てほしくない。でも一番偏見に囚われていたのは私だった

つい先日である。何がきっかけとなったのかは分からないが、腑に落ちるものがあった。いくら身体に自信が持てないからとはいえ、なぜ自分で自分のことをここまでネガティブに思ってしまうのか、ようやく分かった。

「気持ち悪い」。

他の誰でもない、かつての私自身が、アトピーを患っている方達の身体を見てそう思っていたのだ。自分がその方達のことをどんな目で見ていたかを覚えているから、だからこんなにも、周りの人の私に向けられる視線を気にしてしまい、自信を持てないのだ。ということは…。アトピーの他にも、私が外見に自信を持てない理由である、高い身長、広い肩幅、傷跡のある肌。これらを持っている人達に対して私は…。雰囲気に似合っていない服を着ている人、元々の性別らしからぬ格好をしている人。そういった人達に対しても私は…。
「偏見の目で見てほしくない」と、幾度も思ってきたが、とんでもない。そんな目を持っていたのは、紛れもなく自分自身であった。私は、「身体」以上に、「心」が醜かったのだ。

誰かのありのままを認めることは、自分に自信を持つための第一歩

こんな単純なことに気付くまでに、随分と時間がかかってしまった。自分に自信を持つために必要なことは、身体の傷を消すことでも、性別に合った服ばかりを着ることでもない。まず自分自身が、他人の見た目への偏見を持たないこと。そして、一人一人の多様性を認めること。そうだ、まずはそこからだったのだ。それが出来るようになれば、人の目を気にすることもなく、その日の自分のしたい格好で堂々と街を歩けるはずだ。「身体」以上に「心」を綺麗にすること。これこそが、自分に自信を持つ為の第一歩だと思えた。

少しずつではあるけれど、日々を楽しく、自分らしく。きっとそんな風に過ごせるようになるはずだ。…来年の春には、そんな綺麗な心になれているだろうか。もしなれていたら、人目を気にせず堂々と街を歩こう。夏には、傷跡も性別も気にせず、ワンピースも甚平も着よう。そうだ、その為に、もう、さようならをしよう。さようなら、「身体」以上に「心」の醜い自分。