2020年、SFみたいな世界がやってきた。
未知のウイルスがわたしたちの生活を一変させてしまった。けれど、それはひとつの世界であり、無ではなかった。暇、暇すぎる。気になっていた映画も本もチェックして、掃除して、やることはやり尽くした気がする。
暇すぎて和訳してみた。すると、ラッパーの言葉がとても響いてきた
わたしは暇すぎて好きだった海外のHIPHOPグループの和訳をやってしまおうと思うほどに暇だった。それは誰に見せるわけでもなく、ほんとうに自分のためだけにやる作業だった。久しぶりに辞書を取り出して、机に向かって作業する。
なぜだろう、こんな時期だからか、海外のラッパーの威勢の良い言葉がとても響いた。「俺たちも変われた。お前もこの曲聴いてたら変わるぜ」。お、おう。すごい。ここまで言いきっちゃうのは、すごい。それからわたしは一か月いろいろな曲を和訳し続けた。多すぎるスラング、自身の英語力の低さ、こんなことやって何の意味があるの?という疑問と共にフロウし続けた。辞書を引いてもわからない単語ばかりで、ほぼほぼわたしの創作みたいになっていた。
今では創作していない自分が想像できない。書くのってすごく楽しい
そして気づいた、文章を書くのってすごく楽しい。それまで日記くらいしか書いたことのなかったわたしが、それから詩を書いたり短歌を詠んでみたり、コントの台本なんて考えている。今では創作していない自分が想像できないくらい、その生活は馴染んでいる。ほんとうに変わってしまったのだ。それがラッパーのおかげなのか、この長い休みのおかげなのかわからない。偶然の重なりがやってきて感染した、新しい世界。その鮮やかさに眩暈がしつつ、倒れないよう、しっかり言葉にしがみつく。話していると、言葉はふわっと消えてしまうけれど文字にすれば残るから、それをたどって降りていくことができる。今まで口下手だった自分のなんと饒舌なことか。わたしの中にある言葉から言葉へ繋がる糸。世界はマジカルバナナだった。
この世界は毒に満ち溢れている。その毒はエネルギーになる
そんなわたしが2021年にすることといえば、書くことでその世界を広げていく、自分を通してその鮮やかなウイルスをまき散らしていくことだろう。薄暗いコンクリートの壁にスプレーを噴射するみたいに描かれるわたしの世界。それは稚拙な落書きのようで、眉をひそめる人もいると思う。霧状になった感情や記憶から薫るシンナーのような、つんとする匂い。誰の人生だって香水みたいに、いい香りなわけないだろう。理不尽に誰かから傷つけられたり、また傷つけてしまったりこの世界は毒に満ち溢れている。でもその毒だって使い方次第で、創作となって自分を見つめなおす機会になったり、たとえばそのイライラを解消するためにボクシングを始めたらムキムキになったり、毒はエネルギー。
毒→それを発散できること→あなたの好きなこと→その先にあるマジカルバナナはきっとすごく甘い。都会の街に降ってくる色とりどりのマジカルバナナ。それを受け取って、今日も家に帰ろうと思う。そしてわたしなりのジュースにして、飲み込むのだ、世界を。