ショートカットだけど女の子らしさを忘れない丸いシルエットで。色は抑えめの、艶のあるベージュ系で。
私のいつもの美容院でのオーダーである。行く美容院は変わっても、だいぶ昔から変わらない髪型へのポリシー。私はいつでも短く、潔い髪型でいたい。
なぜか昔から短かったし、髪が長いとドライヤーが面倒だし、何より髪が短い自分がいちばんいけてると思うし、皆に似合うねって言ってもらえるから。
突然手放してしまった私の誇り。ぼさぼさになった髪をただじっと見る
と思っていたのに、ひょんなことから職を失ってしまい、しかも新しい職に就くこともなかなかできないために、あっさりとそのポリシーを捨てざるを得なくなってしまった。
社会人生活の三年の中でコツコツと貯めたお金はあれよあれよという間になくなってしまい、美容院に行くお金も惜しまなければならなくなってしまったからである。だんだん残高が目減りしていく通帳を見るのが怖い。服やコスメを買うのは当分の間お預けとなり、それどころか週末にスーパーに食材を買いに行くのも怖くなってしまった。税金やら年金やらの引き落とし日も恨めしい。
なんで生きていくためには、こんなにもたくさんのお金が必要なんだろう。自分みたいな人間が、ものを食べてのうのうと生きていていいのだろうか。
そんなこんなで始まった節約生活の中では、カット+カラーで一万円前後もする美容院に行くなんてもってのほかだった。髪はたちまち伸び、量もいたずらに増え、ショートともボブとも言えぬただのぼさぼさの野蛮な髪型になってしまった。そんな自分を洗面台の鏡でしげしげと眺める。
髪の長い状態に慣れていないので、襟足の髪が鬱陶しくてたまらない。ずっとショートだった私は髪ゴムなどというものは持ち合わせておらず、家にあった輪ゴムで後ろの微妙な長さの髪を縛った。色あせてまだらに明るくなった髪が悲鳴を上げているようだった。
私の三年間ってなんだったの?まるで手のひらに抜けていく髪みたい
お金が欲しい。
世の中の私以外の人と同じように、働いてお金をもらいたい。そう思って、理不尽なことを言われる面接も、不躾なことを聞いてくる転職エージェントの人にも愛想笑いをして、とにかく自分を抑え込んで、相手に好かれる、選ばれる、採用される自分になろうとした。でも全然叶わない。社会に私という人間を必要としてくれる人なんていないんだ。
お風呂で髪を洗うとたくさん髪が抜けた。手に絡みついた髪の毛を一本一本取りながら、それなりの高校と大学を出て、それなりの企業で頑張って三年間働いた過去はなんだったのだろうとぼんやり思う。
誰かを羨んでも仕方がない。今ある自分だけの幸せに感謝しなくちゃ
友人たちがちゃんと働いて、素敵な服を着たり、テーマパークやお洒落なカフェに行っていたりするのをSNSで見るたび、羨ましくてたまらなかった。人それぞれ違う悩みを抱えているはずで、例えば私が羨ましがっているあの子に入れ替わったとしても、私はまた毎日悩み、自分だけが不幸だと思い込み、あるいはあの子よりはましだと自分を慰めるのだろう。
幸せかどうかを決めるのは自分の気持ち次第、とそこかしこで耳にタコができるほど聞いた。オールウェイズネガティブシンキングの私にそんな気の持ちようはできるわけないと思っていたし、今も思っているけれど、でもやっぱりそうなのだ。
お金がなくてもなんとか衣食住を保てているこの状況に感謝し、愛する人がそばにいてくれることに感謝し、自分がちゃんと生きていることに感謝しなければならないのだ。他人を羨むのはよそう。自分だけの幸せを作り出す…んじゃなくて、ここにあることを確認しよう。
苦しみを吸い込んだ髪をばっさり切り落とす、いつかの日を思い描く
仕事が決まって、お給料をもらった暁には、お金を握りしめて美容院に行きたい。
誰からもどこからも必要とされていないと思い込んだ苦しみを吸い込んだ髪は、ばっさり切り落とす。帰りはスース―するようになった襟足から、美容院特有の青りんごのシャンプーの香りを風になびかせながら歩くのだ。