そのことが起きる、ついちょっと前まで十九歳だった私は、成人式の為に髪を伸ばしていた。
染めたことのないバージンな髪は胸元まであって、柔らかで、乾かすのが面倒でも、何も持っていない私のほんの少しの自慢だった。

何を入れるか。私が大切にしていたのは髪、くらいしか無かった

そのことは突然にやって来た。
二十歳になって数日したら、やって来た。
私は父のことが大好きであった。
久々に会ったとき、父は病院でいろんな管に繋がって、自分では息をしていなかった。
そこからの出来事は全てドラマで起きるようなことばかりで、病室で声を掛けたり、泣いたり、思い出話で笑ったり、大きなお葬式を眺めたりすることは嘘じゃなくて本当のことなんだねと、勉強になりますと心の中で父に話しかけた。
さて、棺桶の中に父は入るわけだけれども、そこに何を入れるか、それぞれ家族で一つずつ考えようということになった。

母は写真、姉は父が大切にしていたお数珠と言った。
私には、私には、何もなかった。
髪、くらいしか無かった。
死の世界が明るいのか暗いのか楽しいのか怖いのか、無なのか全然知らないけれど、なんにせよ一人で行くのは寂しいだろうなぁと思った。

父と私が行っていた美容院を訪れて、かくかくしかじかで、と依頼するとブワッと涙が溢れる。
おいおい、美容師さんに迷惑かけてどうする、と俯瞰で自分を嗜める自分と、物語の主人公みたいな可哀想な自分とが同居していたのをよく覚えている。
美容師さんはしっかり私の髪をくくって、私の要望通りバシッと根元で切ってくれた。その後は白い紙に包んで、渡してくれた。
「お金は要りません」の言葉にまた目頭が熱くなった。
いや、溢れていたかもしれない。
ただの美容師と客の間柄だったけれど、彼は通夜にも足を運んでくれて、非情なことがあった時こそ人の優しさに触れるんだということも学んだ。

私の分身を、そっと隣に置いて。次の日、一緒に空に向かった

そっと父の隣に髪を置く。
正直、昨日の今日でベリーショートになった私に親戚は引いていたかもしれない。叔母や祖母に髪を入れると言うと絶句して、そう……と呟くばかりで、でも誰も止めなかった。
次の日、私の分身と一緒に、父は空に向かった。
バカな話だけれど、本気でこれで父は寂しくない。という自信があった。
髪は、切っても伸びてくるし
自信は受け渡しても、心に残り続けてくれた。
この件に関して、失くなったものは何も無かった。
成人式当日、髪のセッティングが誰より早く終わる。
着物にベリーショートは似合わないんだよなぁ。一応買ってもらった髪飾りが付いてるけど、可愛いのはリンリンと揺れる鈴くらいで、私は可愛く無かった。
どうよ、これ。と仏壇の前で手を合わせる。
でも、「着物を買ってくれてありがとう。私、大人を頑張ります」と誓って、合わせたフリをしていた手をひらひらと振って写真に向かってウィンクした。
こっそりしたので母も姉も気付いてないと思う。

近くの公園で撮った家族の写真は、一番目立つ所に飾ってある

成人式の日はいい天気だった。
雪も降っていないので歩きやすいし、日が射していて、振袖は温かく、色々なものが健やかだった。
久々に会う同級生たちは、皆嬉しそうに微笑み、写真を撮ろうと腕を組んでいる。ラメが付いたりして、煌めくヘアスタイルが眩しかった。
式もそこそこに、近くの公園に移動して、家族で写真を撮る。
緑の植物は一切なくて、みんな茶色だった。
私の朱色の着物がよく映えた。
よく皆んなが付けている白いもふもふの襟巻きを私は用意していなかったので、吹く風が首元を通り抜けていく。
冷たい風がその日ばかりはすごく、気持ちが良かった。
シャッターが切れる音がした。
今もその写真は実家のリビングの一番目立つ所に飾ってある。
私はもうすぐ三十。そろそろ、髪を伸ばそうかなと考えている。