私は昔から「ふつう」という言葉が嫌いだった。
「これくらい普通でしょ」「こんな普通のこともできないの?」
日常会話のなかで何気なく使われるこの言葉に違和感を感じる人はどのくらいいるのだろう。

昔から私の言動や考え方は皆と少し違う自覚があった。悪く言うと浮く

何も感じない人もいるかもしれない。
もしこの言葉に引っ掛かる人がいるとしたら、きっと人間関係に悩んだり困ったことがあるのではないかと思う。
実際に私もその1人だ。
ここから先はそんな私の体験談になる。

昔から私の言動や考え方は皆と少し違う自覚があった。
良く言えば芯が通っている。
悪く言うと周囲から浮く。
ネガティブ思考の私は後者と捉えた。

皆に合わせよと頑張って自分の気持ちを無視し続けたこともあった。
最初は良くても途中から辛くなり、結果的に心を病んでしまった。

今思えばそんなことをする必要はなかったと分かるのだが、当時は自分が目立つような言動をすると仲間はずれにされると思い必死だった。

私なりの結論は、狭いコミュニティのなかでしか人付き合いがないから

疲れきった心が回復するまでの道のりはかなり遠く、たくさんの時間を要した。
決してスムーズとは言えない経過をたどって、ようやく自分と向き合える段階に来たとき、過去の自分を振り返って気になることがあった。
それは、なぜ「ふつう」という言葉にあれほどこだわっていたのか。
私をとりまく環境は比較的、恵まれていたと思う。
それにも関わらず、どうして「ふつう」でなければいけないと思ったのか疑問だった。

そして私なりに考えた結論は狭いコミュニティのなかでしか人付き合いがないから。
考え方はそれぞれで、似た価値観の人はいても全く同じ人はいない。
人の数だけ考え方が存在する。
限られたコミュニティしか関わったことがないのなら当然、人との出会いも限定される。
限られた出会いしかないから考え方も固定される。
つまり、柔軟な思考にならないのだ。

今のコミュニティを大切にする。自信がつけば、新たな出会いを求める

柔軟な対応ができる人はいろんな人と出会い、たくさんの考え方を知っている。
そう気づいたとき、全て納得ができた。
とは言っても今すぐに行動に移すのは勇気がいる。
そこで私が思いついたのは今あるコミュニティを大切にすること。
少しずつ会話や理解を深めて自信がついてきたら新たな出会いを求める。
そうすることで新たな場でも緊張がやわらぎ、今までの友達とも深い繋がりになる、まさに一石二鳥ではないか。
あくまで1つの方法だが実践してみる価値はある。
そう思ってからは人との関わりや「ふつう」に対するこだわりも自然と薄れていった。

今でも「ふつう」という言葉に反応するときはあるが、昔ほど悩むことはなくなった。
これは「ふつうの壁」を越えたと思っていいのだろう。