今まで親の期待に応えてきたと思う
私は、人生の節目で必ず母と衝突する。
中学受験・大学受験・成人式・留学・就職。
ちなみに次は結婚だろうと思ってたら、案の定、冷戦状態だ。
自分で言うのもなんだけど、今まで親の期待に応えてきたと思う。
私は第一子の長女。
母が推していた地元の国立大学に進み、母が勧めていた大手企業に就職した。
会社勤めの父と専業主婦の母、そして弟の4人家族。
他の親戚は教師一家。そんなまじめな家系だ。
一方で私はかなり変わりものだった。一人旅にでたり、南米へ留学したり。
友人からは、自由だねといわれていたし、私自身人生を謳歌できていると思っていた。
社会人になるまでは。
母の教育方針は「やりたいことがあるなら、その条件をクリアしなさい」
母の教育方針はミッション型だった。「あなたがやりたいことがあるなら、その代わり条件がある。その条件を必ずクリアしなさい」
私は、達成するためにその条件をクリアしてきた。
学生時代は親に頼らざるを得なかったから。でも、内心母に褒められたかった。
だからどちらも諦めなかった。
そんな中、念願叶った夢の留学。さまざまな価値観にふれ、自分の人生を歩んでいこうと決意した私と母との価値観の違いはとても顕著になった。
就職活動のとき、一番激しく母と衝突した。
ベンチャー企業など自分の力を試したいと思っていた私に対して、母は大反対。
「大手に行きなさい、福利厚生がしっかりしている会社に入りなさい。さもないともう連絡は取りません」とまでいわれた。
せっかく留学に行って他のレールが見え始めていたのに、私は折れた。折れたというよりは自分の考えを上書きした。福利厚生のしっかりした有名な会社。そこで勤めることが幸せなのだ。そういう会社を目指すようになった。
そして、運よく今の会社に滑り込んだ。誇らしそうに親戚に話をしている母をみて、私は嬉しいとさえ感じた。
入社してからはまわりの人にも恵まれ、念願の海外案件の仕事ができている。
でも3年くらい経っても、働きがいを感じられなかった。
自分の力を試す機会がなかなかなかった。
母に少しぼやいても「管理職になって死ぬまでその会社にしがみつきなさい」と言われた。
ある日、帰省したときにほろ酔いの母にいわれた。
「あなたは、結局、いつもお母さんの言うことを聞いてくれるもんね~」
違和感を覚えた。あれ、私は母の思う通りに今まで生きてきたのかな。
自由に生きてるつもりだったけど、ミッションをクリアしながら、レールを少しそれることはあっても結局母のレールに戻ってきている。そう感じた。
極め付けは今愛してる人を認めてくれなかったこと。その人の人柄ではない。
会ったこともないけど、肩書きが大手企業ではないことを反対された。
悲しくなって、私はもう心のシャッターを閉じてしまった。
コロナを理由に私は母と向き合うのをやめた。だけど
「コロナがまたひどくなったから帰るのやめとくね」
コロナを理由に私は母と向き合うのをやめた。一人部屋にひきこもり自分と向き合うことにした。
私はどうにか今の状況から抜け出したくてTwitterで理想の人たちをフォローした。
理想の人というのは、海外で働いてる人、ベンチャーやスタートアップで働いてる人たちだ。すると、いろんなツイートを見つけた。
「親孝行はもう十分した。だからこれからは私の人生を歩む」
「親戚の中で私は異端児。だから反対されてもこういう生き方もありなんだと証明してやる」
私だけじゃないんだ。私の理想とする人たちも戦いながら頑張ってるんだ、そう思った。
井の中の蛙だった私は、大海をみて戦っているのは自分だけではないということに気づいた。
21年の目標は母から逃げずに私の価値観を説明し、自分の人生を踏み出すこと。
私と母は考え方が違いすぎる。だから共感してくれるとは思わない。
でも、このまま逃げ続けたらいつか後悔する。そしてそれは後ろ倒しになればなるほど、
壁が厚くなる。だからシャッターをおろしたままではダメだ。
だって私は母さんが大好きだから。
でもごめん。もう母さんが敷いてくれたレールの上を歩くのはやめるね。
私のレールを走って行くから、いつかそれを母さんが応援してくれるといいな。
もし、私みたいに誰かの軸で生きているあなたがいたら。
一緒に来年は頑張って自分軸のレールのうえを駆け抜けてみませんか?