自分が普通じゃないと気付いたのは何時からだっただろう。
小さい時から同学年の子と馴染めず不登校になった時からだろうか?
恋愛感情が湧かず、唯一付き合った男性と何もなく終わった専門学生の時だろうか?
それとも、自分が女性ではないと気付いた25歳後半の時だろうか?
ともかく僕は普通ではない。と、思っていた。
様々な個性が僕の中には存在する。違和感はあげればキリがない
それは僕が無性愛であったり、Xジェンダーであったり、HSPであったり、様々な個性が僕の中には存在するからだ。と思ったし、店内に並んだ鮮やかな小物たちを見て、女性たちが同じ感想を持つ「可愛い」。その可愛いが僕には持てなかったし、他にも映画というのは、恋人や友人などと見るのが当たり前だと思っている感性に違和感を感じたし、バレンタインデーという文化にも首を傾げるし、兎に角あげたらキリがない。
そう、キリがないのだ。いつの間にか「普通」というテンプレートがこの世界には存在し、そこには「感情」「事柄」が存在して、「皆」がそれに当て嵌まる。と、誰だが知らないけれど勝手に作りだしてしまった。人々は誰が作ったのか分らないそんなモノに自分を当て嵌めて安心する。同時に、それらと同じ感情を持てなかった者たちはどういう訳だが迫害されるのだ。
リアルと真逆の現象が起きるネットの世界を知って、僕は普通を超えた
かと思えばインターネットの世界では、リアルと全く逆の現象が起きている。しかも驚いた事に、リアルの世界で友人たちと「可愛い」と言っていた者たちがインターネットの世界では「馬鹿らしい」と仰っている。これではいったい何が普通なのか分からなくなってしまう。
僕はずっと自分が普通じゃないと思っていた。
同時に僕はこの世界に存在してはいけないのだ、とも思っていた。
皆と同じような感情も持てず、感性も持てず、行動も出来ず、役に立たない。
まるでバグのような存在の僕。
こんな僕がこの世界にいてはいけないのだ。早くいなくならなくてはいけないのだ。
そうずっと、ずっと、ずっと、思っていた。
そんな時に知ったネットの世界。そこで昼夜問わず流れてくる言葉の数。数。数。
一人一人の考え、思い、祈り、願い、言葉。
みんな違う。誰一人、同じ考えなどいない。似たような考えはあるけれど、全く同じなど存在しない。
みんな違う。みんな、同じ考えなんて、持っていない。
そう、僕が普通を超えたのは恐らくこの時だ。
「普通」など存在しない。あるとすれば、入るのに躍起になる「額縁」
この世界に「普通」など存在しない。
あるとしたらそれは額のようなもので、皆その額の中に入ろうと躍起になっている。でも誰もきっとその額に入る事は出来ない。当たり前だ。きっとその「普通」と言うのは、どこかの誰かの「普通」であり、僕たちが持っている「普通」になど当て嵌まりはしないのだ。だから皆自分に合わない額を必死に合わせようとして、スカスカになったりきゅうきゅうになったりする。
話が変わってしまうかもしれないけど、許してほしい。話が脱線するのは僕の癖なのだ。
例えば僕はお寿司が好きだ。回転ずしが好きだ。中でも好きなのは「かにみそ」だ。
これを見た瞬間、きっと誰かは「普通じゃない」と言うだろう。
でもきっと、誰かは「寿司といったら普通カウンター寿司でマグロだろ」と言う人もいるだろう。
と、思ったら隣の人は「寿司といったら普通デパ地下のパック寿司だろ」と言う人もいる。
これは極端な例え話だけど、寿司一つにしたって考え方はみんな違う。
仕事だって恋愛だって家族関係だって、自分が持つ個性だって、感性だって、何一つ「普通」に当て嵌まる事なんてきっとない。
この世界に普通なんて存在しない。それに気づけた時、人は普通を超えられるのだと、僕は思う。
そんな普通じゃない僕は、今こうして「ふつうを超えていけ」を訳あって地元のビジネスホテルの中で執筆して応募している。こんな年末に、住んでいる家に帰れず、ビジネスホテルに泊っている時点でやっぱり「普通」じゃないのだろう。でも僕は思う。「普通じゃない」って面白いよ。