恋愛とは何だろうか。
恋人の定義とは。
相思相愛は永遠に続かない、いずれ「別れ」が来ると思っていた
「付き合おう」から始まり、「別れよう」で終わるそんな関係だと私は思う。
わたしは捻くれ者だと思われてもいい。相思相愛は永遠に続くものではない。その時の環境だったり、タイミングで、良いパートナーだと思っていても、いずれは「別れ」が来る。ただ口約束での関係だ。
「イニシエーション・ラブ」わたしは何度その経験をしてきただろうか。数知れない。
イニシエーション・ラブとは、通過儀礼の恋愛と定義される。以前『イニシエーション・ラブ』(乾くるみ著) という小説を読んで非常に納得できた。
小説内で、「そう。子供から大人になるための儀式。私たちの恋愛なんてそんなもんだよって、彼は別れ際に私にそう言ったの。初めて恋愛を経験したときには誰でも、この愛は絶対だって思い込む。絶対って言葉を使っちゃう。でも人間には―――この世の中には、絶対なんてことはないんだよって、いつかわかるときがくる。それがわかるようになって初めて大人になるっていうのかな。それをわからせてくれる恋愛のことを、彼はイニシエーションって言葉で表現してたの」(p.236)というフレーズがわたしの中で最も響いた。
環境が変わるにつれて、自分も相手も成長する。成長に伴って良いことも悪いこともある。自分や相手が成長することによってズレが生じてくる。そのズレにお互いの心がついて来れなくなった時に恋愛は終わる。だが、それを乗り越えられることもある。それは心のつながり。相手をどれだけ思い、相手の為を思って行動したいと思えるか。逆も然り。
過去恋愛をしてきて終わりの瞬間は「この時間はなんだったんだろう」「時間を無駄にしてしまった」と呆然と考える事が多かった。人は何の為に恋愛をするのだろう。何故、人を愛することで互いを傷つけ合ったりするのだろうか。何度も何度も相手のことを考えて苦しみ、それでも答えは出なくて眠れぬ夜も多かった。
一度は、「自分のこともままならないのに誰かと一緒になるなんて…」と恋愛に休憩を入れていた時期もあった。
「おひとりさま」をしっかりしてからにしよう、と思っていた。そして恋愛とは何か、を深く考えようと思った。
出した答えは、恋愛とは人間関係という大きな枠組みの中の一つの形
そうやって、恋愛を始め、人間関係について考える「おひとりさま」を満喫している際にわたしの出した答えとは、恋愛とは人間関係という大きな枠組みの中の一つの形であるというものだった。
当たり前のことかもしれないが、人間関係というものがまず成り立ってないと恋愛関係には繋がらない。その人間関係の中で恋愛関係とは人と人の一対一の関係であると分かった。自分なりの答えが見つかった瞬間、興奮と高揚感があった。同時にこんなにも当たり前のことなのに、それに感動し興奮している自分を恥ずかしくも感じた。
その後、何故か物凄く楽になった。そして解放感があった。ずっと縛られていたものから解放され、わたしの中にいた沢山のもやもや達が放出されていったようだった。わたしは自由なんだ、と何度も心の中で呟いた。
ずっと恋愛は相利的な関係でないといけないと思っていた。相手が自分と付き合う事で何を得られるか、わたしは相手と付き合う事で何を得られるか…。わたしはずっと苦しかったんだ、と分かって涙が止まらなかった。
人を愛する事が素晴らしいと思うのは、「おひとりさま」があったから
二十数年生きたわたしが今思うことは「心のつながり」を持つ相手を増やしていきたいという事だ。それは恋愛関係においてだけの問題ではなく、日常においての人間関係でもだ。そして人間関係という大きな枠組みの中に恋愛関係があるということを忘れてはならない。
今一度、恋人の定義とは、「付き合おう」から始まり、「別れよう」で終わるそんな関係だとわたしは思っていた。
恋愛を始めてたった四年の恋愛四年生のわたしが改めて思う恋人の定義とは、互いの「心のつながり」を大事にしていける関係だ。
そして今わたしは「心のつながり」持った愛する人がいる。その愛する人の為にわたしは行動を起こしたいと思える。でも、わたしは自由だ。縛られることなく相手の事を愛せるし、わたしのありのままを受け入れてもらえる。人を愛する事が素晴らしいと思えるようになったのは、やはり「おひとりさま」時代があってからこそのことだと思う。自分と向き合い熟考する時間があって本当に良かった。これから数々の困難を乗り越えて相手と共に成長していきたいと思う。