「ひとに迷惑をかけた時は、きちんと謝りましょう」
親か先生か絵本だったか、幼い頃にそう学んでから、学生時代はきちんと”ひとに迷惑をかけた時”に謝ってきた。
それが社会人になり、会社で日常的に謝り続けるうちに、いつしか息を吐くように「すみません」を乱用する私が完成していた。
自信のなさから、常に「すみません」を使うように
最初は、上司やお客様との円滑なコミュニケーションの為に使うクッション言葉としての「すみません」だった。
「お忙しいところ、すみません」「お手数をおかけし、すみません」
ビジネスマナーとして研修で習い、先輩の姿を真似て、自分が言うだけでなく言われる側の立場にも慣れ、クッション言葉の「すみません」をマスターした。
しかし徐々にクッション言葉だけではない、別な「すみません」の頻度が上がってきた。
給湯室のお茶が切れた時、共用コピー機の調子が悪い時、蛍光灯が点滅した時、誰かがトイレットペーパーの芯を替えない時、誰かのホワイトボードの消し跡が汚い時。
いつのまにか、全てが私の「すみません」待ちになっていた。
指摘される度に「すみません」を連呼し、担当者に連絡したり業者を手配したり自分で対応するうちに、もう誰かから自分の名前を呼ばれるだけで反射的に「すみません!」と返事をするようになってしまった。
同期から「あのさ」と声をかけられた瞬間に「すみません!」と返事したら、「大丈夫? ランチ誘おうと思っただけなのに……」と心配されてしまった。
自分に関係のないことにまで「すみません」を繰り返すのは、私の弱さだ。
仕事ができる人間ならば、「それは私の仕事ではありません」ときっぱり伝えられるかもしれない。
しかし、私は怖かった。仕事のできない自分に自信がなく、自分の意見を伝えることに怯えていた。
「私は仕事が遅いし迷惑ばかりかけて何も貢献できないから、他人のミスをかぶるぐらいしか私には出来ない」という思いが私に「すみません」を言わせていた。
「すみません」を繰り返すたび、心が削られていった
私の口からでる「すみません」には、もはや謝罪の意味なんて無かった。何も価値のない、ただの音でしかない。
なんのため?
自分の心を守るため?
でも私の「すみません」を一番近くで聞いているのは、私だ。
「すみません」が聞こえる度に、私は私の心が少しずつ削られている音も聞いているのだった。
何度も何度も削られた心はいつのまにかぺらぺらの紙切れのように薄くなり、そして、ある日、ちぎれてしまった。
「最近会社の最寄り駅で泣くあなたを見かけた営業さんが何人かいるらしいけど、説明して?」
上司に呼び出され、「すみません」と言い、「今度はどのコピー機か。給湯室はさっき確認したはず……」など考えながら走った私にかけられた言葉は予想外のものだった。
まさか見られていたとは。
「すみません」を繰り返すうちに、「こんな私が働いていて すみません」「こんな私が生きていて すみません」の音が耳に何度も聞こえるようになり、毎晩会社を一歩出た瞬間から勝手に涙が溢れて止まらなくなっていた。
上司は部署替えの希望を知りたかったのだろう。しかし、それを依頼するような、特定の誰かから苛められているわけではなかったので何も言えなかった。
上司には心配と迷惑をかけた謝罪と体調不良が原因とだけ告げ、その場を後にした。
特定の誰かから苛められているわけではないけれど、私はもう限界だった。
心が冷たくて、耳がうるさくて、涙が自分の意思とは関係なく流れ続けていた。
「こんなことになってしまって、すみません…」
会社のトイレの鏡に向かって呟いた瞬間、私は気づいてしまった。
私を傷つけていたのは、他の誰でもない、私自身だ。
育児を経験し、ただ生きていることの価値を知った2020年
2020年、私は娘を出産し毎朝毎晩ひたすらミルクをあげオムツを替え寝かしつけ続けた。両家の親戚も友人も、皆が心の底から娘の誕生を喜び、少し離れた距離から沢山の電話とLINEと贈り物と温もり溢れる眼差しで祝福してくれた。
母にテレビ電話で娘宛の様々な贈り物を見せながら「孫は人気者ですよー」と言うと、「あなたも皆に愛されて生まれ育ったのよ」という柔らかな声が聞こえてきた。
ひとつの命は、ただ生きているだけで価値があるという事実をまざまざと見せつけられた1年だった。
2021年、私は2年ぶりに職場復帰する。常に最新の情報を求められる仕事において2年のブランクは相当なプレッシャーがある。きっと多くの先輩や同期や初めましての後輩達にも迷惑をかけることになるだろう。
そしてその度に、多くの人々へ沢山の「すみません」を言う1年になるだろう。
しかし私は、「すみません」という謝罪の言葉がクッションにも刃物にもなることを知っている。
私はもう二度と、私の耳に刃物としての「すみません」を聞かせないようにしよう。
2021年、私は「すみません」乱用女を卒業することを ここに誓います。