「どこで間違えたのだろう。私の何が悪かったのだろう?」
何度も自分に問いかけ、責め続けてきた。
思い通りに事を進めた気がしていた人生計画。狂い始めたのは24才直前の秋。
昔から私は平均が大嫌いで他人と同じが苦手だった。ふつうより先に前進したり、違ったりすることに快感を覚える性分だ。
受験、進学、卒業、就職、結婚。
人生の局面では凄まじいパワーを発揮して最短で結果を出してきたつもりだ。
別に能力が高いわけでもないので、周りから焦りすぎでは?
と言われるくらい早めからの準備を徹底していた。
中学生の頃に、30歳までの人生計画を必死に考えて大抵は思い通りに事を進めてきた。
人生計画が狂い始めたのは3年前の秋、24になる誕生日直前からの話だ。
25歳までに将来のパートナーを見つける
母に言われ続けてきた世の中の平均。
これが世の中の平均かは定かではない。ただ平均より早く最短で掴みとるために私は大学生から結婚を意識して彼氏と付き合い、就職後はすぐに結婚した。当時はふつうより早めに前進できている気分になり、人生計画順調だとほくそ笑んでいた。
しかしながら結婚8ヶ月後に離婚。
本来は結婚後は落ち着いて良き妻をやりながらも仕事に没頭、30までに出産して仲睦まじい家庭を築くと描いてきたものだから、大幅な予定外だ。
離婚理由だって浮気やDVとか決定的な理由があったわけではない。
ただ日頃の些細な家事やら金銭感覚のすれ違いが積み重なり、何十年一緒にいると考えたら思考が停止したのだ。
結婚は忍耐や思いやりという人もいるが、幼稚な私は我慢することも相手に寄り添うこともできなかった。
たった8ヶ月の結婚生活終盤は離婚するのも怖かったけど元旦那と向き合うことも放棄して、いままで行ったことがなかった占いに通い詰めて結論を委ねてみたりした。
最終的には自分でもよくわからないまま離婚届を提出。
冷静に思い返してみても自分が最悪すぎて、心から彼には詫びたいと思い続けてる。
完全に自信を失っていた。離婚後の口癖は「ふつうになりたい」
離婚後、周りからは
「結婚するのも早かったけど、もうバツがついてるなんて!」
「きみは少し変わってるから」
「結婚するのは適齢期タイミングが良かったから若すぎたね」
そんなような、ふつうとあなたは違うという事を指摘される日々が繰り返された。
離婚前の私ならふつうと違うと言われるのは褒め言葉だと思って嬉しくもなったが、この頃は完全に自信を失っていた。
「叶えたい夢は?」と聞かれたら
「ふつうになりたい」
と答えるようになっていた。
そこからは幸せって何だっけ?と考える日々を過ごしていた。
自問だけで答えは出ないから
Barに通い詰めて見知らぬ老夫婦や仕事終わりのくたびれたサラリーマン、綺麗なお姉さん...何十人にも聞いたと思う。
両親や友人に尋ねることは恥ずかしくて避けていた。ふつうとずれたかもしれない自分のことや過去を知らない人と会話している時間が救いだったのだ。
そんなふらふらと彷徨う日々を続け、幸せがみえなくなった私がたどり着いた持論が、
ー幸せは愛情とか人との繋がりを通して得られる心だと思う。特別なイベントや高級ブランドやリゾート等の楽しさは瞬間的で深い満足感は伴わない。誰かに慕われ愛されながら過ごすごく普通の日常って奇跡だー
ということだ。
「どこで間違えたのだろう。私の何が悪かったのだろう?」の答え
自分なりの幸せの答えを導き出した後は
まだ若い母が突然病気で倒れたり、大切な人ともう二度と会えなくなったりしてしまい
誰かに愛されたい愛したい、結婚して家族が欲しい。そんな思いが頂点を迎える。
また愛し合える誰かと出会えたらごく普通の日常を大切にできるような人間になりたいと強く思うようになった。
ただ3年経ったいまも叶わないでいる。
離婚後に付き合ってた彼とは同棲生活を育むものも婚約破棄で終わるし
その後にお付き合いしてみた彼とも結婚は考えられないと振られた。
掴みたい幸せは手に入らないまま
今年の秋で27歳になった。
世の中の標準は27歳で結婚するらしい。
もうふつうには到底間に合わないだろう。
世の中で言われるふつうって一番難しいし、厳しい。
「どこで間違えたのだろう。私の何が悪かったのだろう?」
冒頭の問い掛けに戻ると
正直間違いや悪かったんじゃないかと思うことは沢山あるし、やり直しは出来るがもっと間違うかもしれないとも思ってる。
でも間違いを正解に近付けようと行動していくことが大切だし、人生はそうするしかないのだ。
自分の数々の選択を正解に思えるようになりたいから、今日も私は自分なりの幸せを目指して生きている。時には後ろを振り返りながらも前に進もうとしている。
ただ次に結婚含めて大切な決断をする時は
ふつうや平均、世間体、一般的というワードを使わずに
自分だけの言葉で説明できるようになる必要があるだろう。
そうなれたら私は、初めてふつうを超えられる。
誰かに慕われ愛されながら過ごす、奇跡のごく普通の日常で幸せを噛みしめられるようになれるはずだ。