「24歳になったんだから、もう色々とさ、ちゃんとしなね」
ハッピーバースデーのBGMが流れている。ほら笑え、笑えー。ああ、オンラインで良かった、この引き攣った表情が分かりづらいから。友人の何の気なしに言った冗談に対して、真顔でぐっと絞り出した「だよねー」は、パソコンの画面にまで届かず、冷え切った指先に落ちてしまった。

今年の誕生日、それは私が決めたタイムリミット

たくさんの友人が集まって開催してくれた私のオンライン誕生日会。こんなに盛大に祝ってもらっているのに、どうして毎年どんどん楽しくなくなるんだろう。せっかくの場をこんな気持ちで過ごすなんて、最低。
でも、今年はなおさらだ。
ここ数年、誕生日には小学校の卒業文集の裏表紙に書いた「24歳までに結婚して娘を産む。娘からかっこいいと思われる」という言葉を思い出していた。将来の夢をテーマにした実際の文集には書けなくて、製本された後、裏表紙にこっそり書いたのだ。本気だったから。

そして今年ついに、その24歳になってしまった。
今の私を見たら、きっと12歳の私が言うであろう、「ねえ、全然ちゃんとしてないんだけど!?」という言葉。20歳を過ぎたころから毎年、勝手に傷ついていた。
ごめんね、今の私は結婚どころか彼氏すらいないよ。
娘もいない、だからといって息子もいない。
かっこいいと思われるような仕事ぶり、生き方、人生の目標、なーんもない。ない、ない、ない。夢叶えられなくて本当にごめん。

母と同じ年になった私が、いまの私に伝えること

トークを退出してパソコンの電源を落とすと同時に、ため息が出た。
「あら、楽しかった?」と母が聞く。うん、と笑顔をつくると、「あんたは本当にこんな状況の中でも毎年祝ってくれる友達がいて幸せだよね、ありがたいでしょう」と言われた。

私は母と、未来の50歳の私を重ねた。あ、50歳の私はないものではなく、あるものを数えている。

「あんたには、仕事が忙しい中、わざわざ時間を空けてでも会いたいと思える、思ってくれる友達がたくさんいるよね。仕事でもまだまだひよっこでよく泣いてるけどさ、新人の時より成長できたこと色々あるじゃない。しかもそんな風に泣いてても、的確なアドバイスをくれたり、励まして一緒に頑張ってくれるすごい先輩たちがいるんでしょう。それってすごいことだよ。当たり前と思ってるかもしれないけど、そうじゃないんだから、大切にするんだよ。24歳、おめでとう」

タイムリミットは過ぎても、私の夢は叶えられそうもないけど

12歳の私の夢は、やっぱり2021年には叶えられないだろう。ごめんね、だけど。

12歳の私に「思ってたのとは違うけど、まあこれも悪くないね」と笑ってもらえるような、50歳の私に「あんたがその時あるものを大切にしてくれたおかげで、今の私があるよ」と感謝してもらえるような、そんな未来のスタートの一年にする。ないものを嘆くのではなく、今あるものを大切にして、生きていこう。

タイムリミットのように思えていた24歳。でも違う。
一つの夢が終わったらまた新しい夢のスタートだ。ねえ、ちゃんと見ててね、私たち。