私は大学生の時にブスいじりをされて整形しました。
後悔はない。勇気と努力で掴み取った今の自分が誇らしい。
マスクでせっかく綺麗になった鼻が隠れちゃうのが嫌なくらい。
誰かのせいにするのは辞める。自分の声を聞きたい。
当時は自分の体型や顔面をさておき、女ばかりを冗談という名で執拗に傷つけようとするそいつらが許せなかった。見返してやりたかった。
確かに私の選択で整形をしたけれど、そこには少なからず"あいつらのせいで"と言う被害者意識があった。
本当に最低な話だけど、私よりブスな子だって整形しないで自信を持って私より可愛い服着てる。ずるい。許せないって。
私はあいつらのせいでそんなことできないのに。許されなかったのに。って思ったこともあった。
でも最近は違う。確かにブスって言われて整形した。でも、それは私の選択。私が可愛くなりたかったから、私が見返してやりたかったから、あいつらのせいじゃなくて、私が変わりたいと思ったから整形した。
もう誰かのせいにするのは辞める。
自分の声を聞きたい。
人から言われたから。そうするしかなかったから。
2021年の私の人生にはもう“誰か“はいらない。
私は今幸せなのか、嫌なのか、嬉しいのか、もっともっと快楽主義でいたい。
自分の声に耳を澄ませて自分を幸せにしてあげたい。
自己肯定感が低いんじゃない。本当は自分可愛さだった。
自己肯定感が低い。認めたくないけど私はそうだ。小さい頃からそうだったと思う。
幼い頃から転勤族で、一つのコミュニティに3年以上属したことがなかった。
だから、その場その場で馴染んで人に嫌われないようにする癖がついてしまった。
それだけならいいけど、自分をどんどん押し殺してその上で誰かのせいにしたり、自分が被害者でいることに一種の生きやすさを見出してしまった。
何するのにも自信がなくて、だからいつも自分の価値を他人に求める。
自分の存在意義すらも。
自己肯定感が低いとは言うけど、本心は自分可愛いさだと最近気づいた。
誰かに自分の価値判断を選択を委ねてしまえば、あとはその人のせいにできるから。
自分の人生なのに誰かのせいにしてばっかり。自分を守るための姑息な手段でずっと生きてきた。
自分の価値も選択も、全部私が決める。
自分の着る服も髪の色も髪型も、男受けが悪いから、変に思われるから、似合ってないって言われるから。そういうのもうやめたい。
だって令和だし私もう20代後半に差し掛かるし大人だし。
やるんだったら私が男にモテたいからやるし、私が変に思われたくないからやらないし、私が似合うように努力するし、私が決めたからなんでもやるんだ。
自己肯定感が低いという、甘い被害者意識が私を不幸に蝕んでいる。
最近そう思うことが増えた。自分のケツは自分で拭いて、誰のせいにもしない。
自分の価値も選択も、ネイルの色も髪色も長さも全部私が決める。
それが来年の私。
2021年の抱負です。