地方在住の会社員、28歳、独身です。

周りの皆が、結婚や出産とライフステージを変えていき、よくある話だと思いますが、
その変わりようにただただ面を食らっているだけの時期がありました。

友達との話にも、テレビの向こうにも、ただ劣等感を感じるだけの日々

昔は自分の好きな事であったり、その日あったことをただべらべらとしゃべっていられたのに、今はそんな話をしたあかつきには、「で、恋愛の方はどうなの?」「でもさ」「そんなことではだめだよ」といつの間にか私の人生の採点が始まってしまうのです。
どんなに面白い話をしていても、行きつく先はすべてそこ。
なんでそうなるんだろうと、会うたびに疲れるようになりました。
みんなと友達でいたかった。
でも、友達はそれを許してくれません。
採点されては見えない膜に傷つき、その場をやり過ごすのに必死でした。

テレビをあまり見なくなりました。
私自身が歳を重ねただけかもしれませんが、昔以上にマルチな人が増えたような気がします。トークもできて、容姿もよく、性格もよく、頭も良い、お金もある、そしてゆくゆくは素敵な家庭をもつ。
見ているだけで劣等感を感じてしまい、すぐ消してしまうことが多くなりました。

疲れや劣等感を感じる度に、醜さを感じて、さらに落ち込んで。無限のループです。
私の今までやってきたことは、全て無駄だったのか。私の存在とは一体、と自分の人生を振り返り、落ち込みます。あの時ああすれば、こうすれば。誰かの名言を読み元気をだし、好きな事をして元気を蓄えるのですが、根底にあるループからは逃れられませんでした。

日常が一転。その時、私を苦しめてきた「でもさ」の一言に助けられた

ただ、そんな私の思考が少し変わるきっかけがありました。
それは予期せぬ出来事の数々でした。唐突な仕事の変化、ぎっくり腰からのエステ、実家の引っ越し、それに伴う衝突、恋愛もどきの失敗等。
その1つ1つが私にとって「ふつうではない」ことでした。そしてその時に、私自身、皆の言う通り「ふつう」に生きていれば、皆の言うところの「ふつう」ではいられると、心のどこかで思っていたんだなと気づかされました。それがどうやら違うようだと感じ始めていて精神的に揺らいでいたところに、次から次へと予期せぬ出来事が突きつけられ、私は完全に思考回路が停止し、いっぱいいっぱいになりました。
その時、変わらないものはないという、一見至極当然のことを実感として初めて体感したのです。

何も考える余裕がなくなった私は、友達に会うと、予期せぬ出来事の数々を話ました。
馬鹿にするならすればいい。もう取り繕う余裕さえもなくなっていたのです。
しかしながら友人達は、その私にとって前代未聞の問題を笑い飛ばし、一緒に愚痴を言ったり、自分の話失敗談をしてくれたり、時にアドバイスをくれたりしたのです。

その会話の中には、以前からあった「でもさ」という言葉がありました。
しかしながら、それは以前より疲れが伴うものではなかったのです。それはきっと私自身も「でもさ」と言えるようになったからかも知れません。前の自分はただただ同調することでしか、自分の居場所を確保できなかったのです。

私の「ふつう」と誰かの「ふつう」。同じでも違っても、大事にしたい

思えば、私は、私自身が何も変わらなければ、全ての物事と変わらぬ関係でいられると「ふつう」に思っていました。ずっと変わらない、それが一番いいことだと思っていました。
ただそれは同時に、相手に、変わらなくあることを、自分にとっての「ふつう」を強制していたのかもしれないと、最近になって思い始めました。

その友達にとっての「ふつう」と私にとっての「ふつう」が違うんだと、気づくのに随分時間がかかりました。

テレビに出ている有名人だってそうです。その人にとっての「ふつう」を見せているだけなのです。それなのに私は一方的に自分の「ふつう」に当てはめて、その人を見て、自己嫌悪の理由にしていただなんて。少し反省しました。

私の「ふつう」とあなたの「ふつう」は一緒であるかもしれないし、違うかも知れない。一緒の場合は強い絆があるように感じますが、でもやっぱりどこかは必ず違う。
「ふつう」が違っても、例え変わってしまっても、大事にしたいと思えるよう、大事にしたい人と一緒にいられるよう、これからは自分の「ふつう」を超えていけるようになろうと思います。