「私の方が可愛くて、頭も良くて、要領も良く、みんなから好かれてて、仕事も出来まーす。全てにおいて私の人生のが豊かでーす。お前らは指でもしゃぶってなァ?」

映画のヒール役が言うようなセリフだが、これは私をいじめた奴らに贈る言葉である。
こんな風に人を見下す女だからいじめられたんだと言う人も居るかもしれない。
だが、10年経った今でも憎い奴らに贈る精一杯の言葉がこれだということを、少しだけ同情してほしい気持ちでこの文章を書いている。私だってこんな事思いながら生きたくないのだ。

中学ではすぐに友達が出来た。まさか地獄に繋がっているとは知らずに

中学に上がった私は、別の小学校の友だちがすぐできた。5人グループで構成されており、リーダー格の女・元気印みたいな女・ひょうきんな女・おとなしい女・いじられる女(私)みたいにクラスの人からは思われていただろう。
まだ人間関係構築の術が「なににおいても同情すべし」や「相手を持ち上げ、自虐しろ」くらいしか持ち合わせていなかった為、私のキャラはいじられキャラになった。(話は脱線するが、人のパーソナリティを一括りにしてしまうキャラ設定というものが私は好きではない。)

まさか数ヶ月後、いじめに繋がろうとはこの頃の私は思いもしなかった。

無視、悪口、傍観。そして、私の心をえぐる日々はあっけなく終わった

いじめは突然始まった。
確か週末の遊びを断っただとか、そういう理由だったように記憶している。今思えば「ウチらグループのふつう」から少しでもはみ出せば、誰でもいじめの標的になったのだろう。

地獄みたいな日々だった。
とてもじゃないが、13歳の少女が体験するような事では無いと思う。無視は当たり前、透明人間の様に扱われ、見えていないのかと思いきや、大声で私の悪口を言われる。いや、見えてんのかーいって。
いじめはクラスの人に知れ渡った。
しかし、誰も止める様なことはせず、どちらかというといじめを見物しているようだった。(このような状況にも関わらず、心配して話しかけてくれた子は今でも私の数少ない友達になった。大好き)

そんな日々がおおよそ二週間続いただろうか。いじめはリーダー格の女が私に話しかけた事から終止符が打たれた。あっけなかった。あれだけ私の体から涙を生産させたくせに、あれだけ私の心をえぐったくせに、リーダー格の女がちょっと私に話しかけただけでいじめって終わるもんなんだ。

いじめた奴らへの最高の復讐。それは、人気者になって上に立つこと

そこから私の人格が歪んできた。
冒頭でも言ったセリフの様な感情を抱くことが、いじめた奴らに対する最高の復讐だと思った。まだ幼い少女の目標が「あいつらより上に立つ」ことになった。

いじめた奴らより上に立つ方法はなにかと考えた結果、生徒会長になるということだった。かつてこんな理由で生徒会長を目指した中学生は居るだろうか?おそらく居ないだろう。
今思うと短絡的だが、その頃の私は上に立つ=生徒会長になることだったらしい。
じゃあ生徒会長になるには?幼い頭で考えた方法は「生徒会長になるには選挙がある。あれは人気投票みたいなもの。選挙に当選する為に、まず友達をいっぱい作ろう」だった。

今考えると面白い。でも当時の私の精一杯出した目標だ。
そして、いじめた奴ら以外の友人を作ることに躍起になった(相変わらず人間関係構築術は二つほどしか持ち合わせていなかったが)。

目標は達成した。でも、憎しみだらけの私の心は晴れなかった

そんなこんなで私は会長に就任した。
目標は達成した。この頃には新しい友達もできた。

でも、私の心は晴れなかった。
あの時生まれた感情が、憎しみだということに私はやっと気付いた。私が上に立とうと、いじめた奴らの復讐なんて出来ないし、私がどれだけ憎しもうと、いじめた奴らは今日も楽しく笑っている。
そもそも、上とか下とか本当はないのを自覚している癖に、憎しみを消すために勝手に自分お手製のカースト制度を作った。やっていることは本質的にいじめた奴らとそんなに変わらない。

私の中学生時代は、世間のふつうでは無かったと思う。
世間のふつう、とは人をこんなに憎まず、健やかに生きるということだ。でも、いじめというものはふつうを簡単に壊す。10年経った今でも冒頭のような感情を抱いている私が証明する。
いじめは無くならないかもしれないが、誰かのふつうを壊す行為だということに気付く人が一人でも増えますように。