この募集テーマを目にした瞬間、私の頭の中には、母方の祖母の顔が思い浮かんだ。それは私が、祖母の考える「ふつう」を超えられなかったからだ。そして、そのとき言われた言葉を、いまだに忘れられない。
金賞の証を褒めてもらいたかった幼い私に、返された言葉は
それは15年以上前、私が小学生だった頃の話だ。
冬休みの宿題のひとつとしてだされた書き初めで、私の作品が金賞を受けた。これはクラス内の優秀な作品のいくつかに与えられたもので、決して私の作品だけに与えられたものではない。それでも金賞の証である、半紙の右上に付けられた短冊状の、金色の折紙を見るたびに嬉しくなった。また、他人に私の作品が認められたことも嬉しかったのを覚えている。
書き初めは、小学3年生から中学3年生まで毎年冬休みの宿題のひとつとしてだされる。私が金賞を受けたのと同じ年に、4歳上の従姉もまた金賞を受けた。
ある日祖母の家に遊びに行くと、当時祖母と同居していた従姉の作品が、居間の壁に堂々と飾られていた。そして祖母は、私に従姉の作品が金賞を受けたことを、嬉しそうに話してくれた。とても嬉しそうに話すので、話を聞いた私も同じように褒めてほしくなった。そう思い、私の作品も金賞を受けたことを祖母に話すと、期待したものとは別の言葉が返ってきた。
『あなたは字を習っているでしょう』
私もとくべつが欲しかった。あの言葉は、私にかけられた呪いのよう
このとき私が字を習っていたのは事実だ。
それでも私にとって、この金賞は「とくべつ」なことだったのに、祖母は同じように思ってはくれなかった。字を習っていた私が金賞を受けるのは「ふつう」で、字を習っていない従姉が金賞を受けるのは「とくべつ」だと思ったからだ。
確かに、祖母の言うことも一理あると、大人になったいまは思う。字を習っていた以上、他人より綺麗な字を書けなければ、その意味がないだろう。
それでも、嘘でもいいから、このとき私は祖母に『かまぼこもすごいね』と言ってほしかった。ただ、それだけだったのに。
そんなことがあったからか、私はいまだに字を書くことに自信が持てない。
何も祖母に褒められなかったというだけで、私の字を褒めてくれるひとは他にもたくさんいた。そのひとたちの言葉だけを信じればいいのに、それができないのは、祖母が私に言った言葉を思いだしてしまうからだ。もしかしたら、本当はそのひとたちも同じように思っているのかもしれないと考えると、どうしても素直に信じられなかった。
それは、まるで呪いの言葉のよう。でも、いつまでも呪いにかけられたままでいるのも、いい加減に嫌になった。
他人からもらった褒め言葉を否定するのは、相手にも失礼だし、私の心を傷付ける行為だとようやく気付いたからだ。そして、信じられないからと言って、褒め言葉をいちいち否定するのはひどく疲れることでもあった。
だから、呪いを解くために私はあることをはじめた。
私自身の手で、私の「ふつう」を「とくべつ」に変えよう
私の利き手は右なのだが、その薬指には小学生のときにできたペンだこがいまもある。ちなみに、正しいペンの持ち方をしていれば中指にたこができるので、私のペンの持ち方がおかしいことは自覚している。ついでに、矯正しようとしたこともあったが、治らなかったと言い訳もしておく。
そのペンだこができてから、これまでいちどもなくなったことがない。それだけの努力を続けてきたのだと、まず私自身が認める。なおかつ、私が書く字のすべてを褒めることにした。
私はいまも、毎日たくさん字を書く。それは職場でだったり、自宅でだったり。たとえ微妙だとか下手だと思うことがあっても、私が書く字はとにかく綺麗なのだと自身に言い聞かせ、自信を持たせるのだ。
そして何より、私は字を書くことがとても好きだ。好きなことをしている自分をこれ以上否定したくない。だからこそ、私は私を、自分の手で「ふつう」から「とくべつ」に引き上げよう。