幼稚園、小学生、中学生の時の私は、普通になりたかった。
高校生になって、普通になりたくなかった。
大学生の私は、普通の大学生よりもすごい大学生になりたかった。
就活では、普通になりたかった。
私に何が起こっていたのか、どうぞ聞いてください。

私の母親は、親になってもみんなに注目されたかったんだろうな

私の母親は、普通でいさせてくれなかった。
今思うと、彼女は毒親に育てられた影響で、母親になってもみんなに注目されたかったんだろうな、って思います。
私はみんなが習ってたそろばんも進研ゼミもやらせてもらえず、みんなが知らないスイミングスクールに通わされていた。
みんなが履いていた瞬足は買ってもらえなかったし、服装は毎日ビビットカラーだった。
みんなみたいな水色とかピンクのじゃなくって、みんなより大人びた白いデザインの自転車と、みんなより大人びた黒と紫のローラースケートだった。
転校しても派手な服しか買ってもらえなかった。転校生ってだけで目立つのに、本当につらかった。
みんなと違う習字セットやリコーダーなのは受け入れた。みんなのより可愛かったと思う(笑)
一番の問題は、歌も運動も音痴で絵も下手なこと。
かと言って、頭がいい訳でも可愛いわけでもなかった。つまり、小中学生の人権の根源の要素を持ち合わせていなかった。
だから、体育でも運動会でも歌のテストでも図工の作品の展示でも悪目立ちした。
最低限のことが出来れば目立たずに普通なのに。
万能のスーパー小学生にしてとは願わないから、欲張らないから、でも、何か、下さい。
どうにかしてください、お願いします。
七夕だけじゃなくて、年中どこかのお星様と神様にお願いしていた。
でも願いは届かなかった。
夏休みの宿題も、自分の不器用さをいかにカバーする作品を作るかということしか考えていなかった。
二つ目の問題は、背が低いこと。
高学年になって少しマシになったけれど、本当に小さかった。
言うまでもありません。自己肯定感はゼロです。

こんな私でも、物怖じしない、人前でもちゃんとしゃべれる、というスキルはあった。
だから、私は中学では演劇部に入りたかった。
ところが、両親は何らかのスポーツをしっかりやっていたから、文化部にアレルギー反応を示した。
運動部しか許さないというお達しを受け、消去法でソフトボール部に入った。
運動音痴な私は、ドッヂボールのトラウマでボールが怖いし速く走れないし、背も低いしパワーもなく、瞬発力もない。
私のミスのせいで基礎錬が長くなったり、簡単なゴロがとれなくて負けたりした。
結果、部内で悪目立ちしていじめられて退部した。
“普通じゃない”退部をした私は、学年でも悪目立ちした。

演劇部では全力で活動。少し自己肯定感を上げて中学生活を終えた

結局念願の演劇部に入れたものの、温かく迎えてくれた人はいなかった。
とっても居心地が悪かったから、すぐに上達してすぐに役をもらって最後の年には大きい役をやってカッコよく終わるって決めた。

部内唯一のショートヘアを活かして男役を極めた。
私なりに努力して色んな事を考えて真面目に全力で活動した。
予定より早い段階から役をもらえたし、最後の大会では賞をもらえたし、最後の文化祭ではみんなに褒めてもらえた。
時間的にも体力的にも余裕があったこと利用して、英語スピーチコンテストにも挑戦して、まずまずな賞をもらえた。
審査委員長の校長が、自分の学校の生徒を最優秀賞にしていたのだけは今でも許せないけど。絶対私の方が内容も発音も表現も練習量も勝ってた。
ほんとだったら彼の代わりに私がニューヨーク行けてたのにな。
それでも、少し自己肯定感を上げて中学生活を終えた。

そんな中学生活からの新規まき直しを自分に誓って高校生になった。
これといった特技もチャームポイントもないし、髪の毛も短いし、悪目立ちしてしまうのはどうしようもない。
普通、っていう尺度そのものから逃げ出すことにした。
幸い同じ中学の友達は優しい子ばかりで、クラスも部活も違った。
よし、人間関係では新規まき直しできる。
演劇部での男役と英語スピーチコンテストのように、自分の出来ることで頑張ることにしよう。
普通とか変わってるとか、もう、そういうの、サヨウナラ。
私にしかできないことを一人でやります。

自己分析した。目立って、すごいって思ってほしかったんだと思います

考えても英語しかなかったから、両親に頼んで2週間の語学留学に行かせてもらった。
英会話を継続させてもらった。
1週間の国際交流プログラムに2回参加した。
日本語を教えるボランティアをした。
髪が短かったから、イベントでは毎回みんなと違ったヘアアレンジをした。
みんなが狙っていたランクより高い大学を狙った。

私はきっと普通っていう次元で測れないところにいる!
英語のテストで学年一位をとってるし、アメリカも行ったし、課外活動をしているのはインスタに載せてるし!体育祭で私と同じヘアアレンジした子いなかったし!

今だから言います。
改めて自己分析した結果、目立ちたかったんだと思います。
目立って、すごいって思ってほしかったんだと思います。

大学生になって、今度は”スゴい”学生になりたかった。
就活のためにはスゴいことをたくさん経験した方がいい。
私が思うスゴい学生になれると思ったことは何でもした。
頭もスゴく使い、サービスのレベルがスゴイところでバイトした。
スゴい数の加盟国とスゴい優秀な学生が集まる、スゴく珍しい学生団体に入った。
スゴく遊んだ。
スゴく珍しいところでインターンした。
自分の個性をスゴく活かせる授業をする活動をした。

でも、上には上がいる。
スゴいバイトをしていても、学生団体の中では一番出来ない学生だった。
スゴく頑張っても、あんなにナチュラルに人前で話せないよ。
私はスゴい人間じゃないみたい。
なんだ、私、副教科が出来ないんじゃなくて、何にもできないんじゃん。

就活を2回。“普通”っていう概念、18年かけて超えることできた

就活では文字通り一周回って”普通”になりたかった。
ここでの普通とは、大手企業のことです。
でも自信がなかったから失敗して、精神的に崩壊して就活浪人をした。
社会的な普通から外れてしまった。
心の中での紆余曲折ありながらも、小中高は公立、現役で私立有名大、っていう自分の中での普通コースは通れたのに。
最後の最後まで普通を貫けなかった。
スゴイ学生になりたい、普通の高校生でいたくない、そして小中学生での普通でいたい、という思いを何とか形にしてきたつもりだったのに。
怖かったけど出来ることは頑張ったのに、どうして、最後の最後に普通になりたいという願いを叶えられなかったんだろう。

2回目の就活の結果、私はベンチャー寄りの中小企業にお世話になることになった。
その企業だけではなく、その業界全体の新卒1期だ。文系は私だけ。四大卒は私だけ。

別に、普通になりたかったわけでもないし、普通になりたくなかったわけでもない。
きっと私は、これまで誰かになりたかったんだと思う。
普通の人、普通じゃない人、スゴイ人、大手の内定をもらう人。
一体彼らは誰ですか?
私は、私です。
私は、私にしかなれないんです。
5歳から囚われていた、“普通”っていう概念、18年かけて超えることができました。