たくさんのご応募ありがとうございました!

出会いや別れがたくさんの新年度に募集した今回のテーマ。

テーマが発表された当初は、自粛期間となって会えない人や、進学や就職で会えなくなってしまう人へ向けたエッセイが集まるのかなぁと思っていましたが、蓋を開けてみると本当に多種多様なエッセイが寄せられました。

恋人や友人、ペット、会社の同僚、過去・未来の自分など……さまざまな人を想ったエッセイがあり、「次会うときは」で思い浮かべる人やものはこんなにも違うんだなぁと、ひとつひとつ大切に読ませていただきました。

では、さっそくかがみすと賞1本と編集部選3本を発表していきましょう!

各タイトルをクリックすると、それぞれの記事に飛べますのでぜひ読んでみてくださいね。

かがみすと賞

◆気持ちを伝えようとすると涙が出てくる。でも次会う時は(山逆)

一年間、大学を休むことになった指導教員の先生への思いを綴ってくれたこちらのエッセイ。山逆さんの先生に対する熱い思いが伝わってきて、読み終わると泣きそうになります。

先生は(中略)身長も高くなく、女性の平均身長ぐらいの自分でも、目線を合わせるのは楽だ。体格もひ弱そうで、頑張れば私でも倒せそう。話し方も丁寧で、先生くらいの年齢の人に多い高圧的な態度も、学生をちょっと下に見るような言葉遣いもしない。

いつもはにこにこジャムおじさんとタモリさんを足して2で割ったようなおじさんなのに、ふとものすごく暗く、強い雰囲気を感じる人と出会ったのも、人生で初めてだった。

先生がどんな人なのか、会ったことのない読者も想像できるような文章。と同時に、山逆さんが先生をどんなふうに見ているのかがよく伝わってきます。

先生と一対一でお別れの挨拶をする日、山逆さんは花束と手紙を用意していきますが、その場ではうまく気持ちを伝えられなかったそう。そんな山逆さんに対して、先生はこんな言葉をかけます。

「文を読めば、たくさんのことを、よく考えてる人だなってわかるよ、だから大丈夫」 (中略) 文章じゃないとうまく伝えられないことも気持ちが重いこともばればれだった。先生は最後にそういうところをまるっと私の長所だと言い放った。それで確かに今まで抱いてきた情けなさは減った。

めちゃくちゃ素敵な先生なんだな、と読んでいる私まで感動しました。
先生に次会うときは、山逆さんが自分の気持ちをしっかりと伝えられるといいなと、応援しています。

編集部選

今回も編集部選として、3本、ご紹介します!

◆「可愛い」と言われて羞恥した。自分を大切にする彼女の方が可愛いから(えてちゃん)

個人的にとっても共感したこちらのエッセイ。処女への社会の眼差しが感じられると同時に、自分の気持ちの変化がとても丁寧に書かれていて「この感情、私も知ってる…!」となった人も多いのではないでしょうか。

彼女の一言は、同世代の女の子たちは、当たり前のようにキスやセックスを経験していることを意味していた。同世代の女の子と恋愛話をするためには、男性経験がなくてはならないと、そう言われているみたいだった。

共感しすぎて、赤べこのように首を縦に振りながら読みました。
大学生くらいになると、恋愛してたり、恋愛経験があることが当たり前、みたいな空気感がありますよね。自分に恋愛経験がないと恋愛話に参加しにくいような感覚も、すごくわかります。

私はきっと、処女を守りたいわけでもなく、処女である私を無意識に辱めた彼女を憎んでいたのだと思う。学科内でも評判の恋人がいるのにも関わらず、自分の意思で自分を大切にできる彼女が羨ましかったのだと思う。

自分の感情をここまで分析できているのが本当にすごい。
かつて私も感じたようなモヤモヤとした感情が言語化されていて、なんだか私もすっきりとした気持ちになりました。

◆ふと恋しくなるチーズ蒸しパンのように、大切な誰かを思い出す(紗希)

幼い頃からチーズ蒸しパンが大好きだったという紗希さん。今もそれは変わらないそうですが、一方で、昔は嫌いだったものが今は好きになっているという変化もあり、味覚が広がったと分析。そしてそれは、人間関係においても同じかも、と考えます。

その時の自分と今の自分は違っていて、あの頃は何の話をしていたか、どうしてそんなに好きだったのか、なぜこの本を読もうと思ったのかはっきりとは思い出せない。あの頃の自分はもういないのか、と悲しくなっていたのだが、きっとたくさんの人と出会い、たくさんの物語と出会い、自分の世界が広がってしまっただけだのだろう。

こういう感覚、ありますよね。「あの頃の自分はもういない」と捉えるとちょっと悲しいですが、「自分の世界が広がった」と考えると、すごく前向きでいいなぁと思いました。

次まで会えないという空白は、変化を生んでしまう。次に会うというのは空いていた時間、空白を確認する行為で、今は変わってしまったことを知らせる渋いものかもしれない。(中略)

今のあなたも私も、あの頃とは変わってしまっている。それでも、あの時の私を知っているあなたとあの時のあなたを知っている私、ということが変わることはない。

このエッセイは自粛期間中で友達に会えない時のことを書いているのかなと思いますが、だんだんと疎遠になってしまった友達すべてに当てはまるのでは、と思いながら読みました。

私自身、環境が変わったことで疎遠になってしまった人もいます。寂しいなぁと思うけれど、「あの時の私を知っているあなたとあの時のあなたを知っている私、ということが変わることはない」というこの一文が、その寂しさを払拭してくれるようでした。

◆恋じゃないけど特別だった彼。次会うときも本の話をしたい(ふみえ)

中学生の頃、本を通じて仲良くなった友人のことを書いたこちらのエッセイ。まるで小説のような始まりと終わりで、なんだか心がほんのりと暖まりました。

その日わたしはあさのあつこの『バッテリーⅡ』を返すところで、開室を静かに待っていた。そのとき目の前にいた男子生徒の持つ本がふと目についた。ハードカバーの真っ赤な表紙。まったく同じ本だった。

『耳をすませば』みたいな話が本当にあるんだ…!と感動してしまいました。同じ本を読んでいると、なんだか性格も合うんじゃないかと思ってしまいますよね。

わたしは「恋人」になりたかったのではなくて、ただ、「少しだけ特別な友人」になりたかったのだ。一緒に本を読んで、その感想を伝え合えればそれでよかった。肌と肌が触れ合わなくても、一冊の本を介してつながっていられたらそれでよかった。

恋愛でも友情でもない感情ってあるよなぁ、と共感。「少しだけ特別な友人」という言葉もすごくしっくりきました。
本の感想を伝え合える間柄って、簡単なようでなかなか築けるものではないですよね。ふみえさんにとって、彼が貴重な友人だったんだなというのが伝わってきます。

彼と再会するのは難しいかもしれないけれど、いつかどこかでまた会えたらいいなと願わずにはいられませんでした。

以上、「次会うときは」のかがみすと賞の発表でした!
現在は、「母に実は伝えたいこと」「メディアへのもやもや」「わたしが総理大臣だったら」の3テーマでエッセイを募集中です!
ご投稿、お待ちしております!