本当に好きな人だったら、触られたいし触りたいらしい。「ふつう」だったら。
母親も、大学の友人も、高校時代の女友達も、小学校からの幼馴染も、みんな私にそういった。好きだったら相手に触られたいと思うよ、そう思わないなら好きじゃないんじゃない?ストレートだったりオブラートに包んだり、ことなる形を取りはすれど、要点はすべて同じだった。
みんな軽い気持ちで、まるで「晴れの日は雨が降らない」みたいな、当たり前のことを言うみたいだったし、誰も責めるような口ぶりではなかった。
けれど私の胸の中には、ずっとずっと、その言葉が重く留まっていた。なぜなら、私は本当に彼のことが好きだ、と思っていたから。
初めてできた彼氏で、3年のあいだ仲の良い友だちだった、サークルの後輩のことが好きだった。好きなはずだ。
だけど、私は彼と性的なことをしたいと思わなかった。手をつなぐまでならいいけれど、その先を考えたときになんだか違和感があった。抱きしめられても安心なんてしなかった。その先なんてもってのほかだった。
嫌悪感とは違う。気持ち悪いなんて思っていないけど、よく聞く「安心する」とか「幸せな気持ちになる」とかそういうことは全くなくて、ただ体がこわばっただけだった。
そんなだから当然思ってしまった。「なんのためにするのかしら」と。「別にしなくてもいいじゃない」と。どうやらこれは「ふつう」ではないらしい。
狭まっていく身体の距離感に戸惑う私と不満げな彼
彼は私に触りたいらしかった。手も繋ぎたいし、おそらくその先も望んでいた。
デートを重ねるごとにどんどんと焦りは募った。
彼と話すのはとても楽しいのに、一方でどんどん狭くなっていく身体的な距離感に「どうしよう」という気持ちは大きくなるばかりだった。
この食い違いはよくない。そう思ったから素直に彼に相談した。私は人と距離を詰めるのが苦手みたいだから、待ってくれると嬉しいと。時間の問題だと思ったのだ。
時間がたてば、私の気持ちも変わっていくだろうと。
だけど相手は少し不満げだった。
気持ちはわからなくもなかった。「ふつう」は好きなら相手に触りたいと思うんだろうし、ドラマや映画を観ていたってカップルはそうやって描かれている。
「ふつう」は好きなら、多少緊張しようが違和感を感じていようが、我慢して相手に合わせればいいじゃないかと自分でも思った。
「それができないんだからやっぱり好きじゃないんだよ」とも友人には言われた。
友だちで満足する程度の気持ちだったわけじゃないけれど
結果的に、彼とはほどなくして別れた。もともと恋愛感情を抜きにしても馬が合ったから、彼とはいまでも友人のままだ。たまにラインで会話をするくらいの関係に収まっている。
「結局、友だちで満足する程度の気持ちだった」と言われてしまいそうだし、「ふつう」はそうかもしれない。だけど私は、それでも彼のことを特別に好きだった。
どんなに「ふつう」と違っても、どんなに周りから「好きじゃないんだよ」と言われても、やっぱり彼への気持ちは私にとって最上級の「好き」だ。
できることなら、肉体関係がなくてもずっと一緒に居たかった。なんでもない話で盛り上がって、笑って、言いたいことを言って、お互いにくだらない議論をしながらお酒を飲みたかった。
だから「性欲処理なら別のところでしてくれればいいのにな」なんて最低なことだって思っていた。
「ふつう」に合わせて彼と肉体関係を持っていたらどうなっていただろう。多分、私は彼との関係を続けられなくて、結局別れていたと思う。
そしていまみたいに、友人にだって戻れなかったはずだ。
いつか「ふつう」に好きな人が現れたとき、この思い出は笑い話になる。いまはまだ来ていないけど。