いい高校、いい大学を出て就職をする。
「普通の人」になるために、社会が敷いたレール。私は何の疑問も持たず、その上を走ってきた。私はそれまで、自分自身で進路を決めたことがなかった。勿論、行きたくない学校へ進学したわけではない。周りが言うから、自分もそうした方がいいと思っていた。

見事に就職に失敗し、裏切られた気分で、話が違うじゃないかと憤った

それは、大人たちの言葉を退けるだけの理由も持ち合わせていなかっただけとも言える。よく言えば、従順。悪く言えば、自分の意志がない。ただ、そうしていればその通りになるんだと妄信していた。私は、特に逆らうこともなく、高校は進学校、大学は名門といわれる私立大学へ進学した。特に躓くこともない人生に、疑うことはなかった。

そこがいけなかったのだろう。私は見事に就職に失敗し、就職浪人することとなった。裏切られた気分だった。話が違うじゃないかと憤った。この道を進んでいけば、何事もなく、社会のレールの上を走り続けられるんじゃないのか。
大学の卒業式、私から肩書はなくなった。それまで、身分を証明してくれた学生証はただのプラスチックに成り下がった。今私が何かしでかしたら、無職と表示されることになるのかと虚しさを覚えた。そんな私を置いていくように、華やかに着飾り、新たな門出を謳歌する同級生。あの人達が普通で、もう私はレールから外れてしまったんだ。
惨めなものだ。18才のあの日、期待に胸を膨らませて通ったこの道を、22才の今日、失意のうちに逃げ去るように後にするなんて、想像もしなかった。

この世の全てが憎らしかった。幸せそうに歩く人を見ては「小指をぶつけて悶絶しろ」と心の中で呪いの言葉をかけた。罰が当たったのか、その年、私の小指に悲劇が降りかかったのは内緒だ。

振り返ると、何と視野の狭い人間だったんだろうと思うのだ

ただ、私に嘆いている暇はあまりなかった。私は就職のため専門学校へ通うこととなったからだ。それが功を奏したともいえる。そこでは、私の普通という考えがいかに間違っているか知ることができた。今改めて振り返ると何と視野の狭い人間だったんだろうと思うのだが、あの頃の私にとっては、大学進学は当然の道だと思っていたのだ。

しかし、専門学校は高校を卒業してから入る人が多く、大学進学だけがすべてではないと気づかされた。手に職をつけて就職を目指すため、学び舎に通う年下の学生たちの何と生き生きとしたことか。彼らにとっては、それが普通なのだろうが、それまでの私にとっては「普通の外」の話だった。

しかし、私にはひどく羨ましいものに思えた。年若い彼らの方が、きちんと自分の進路について考えている。そして私は、周囲の人の言う「普通」を信じて、今惨めにもがくこととなっている。

昔の私が知ったら、何というだろうか。「負け犬」とあざ笑うだろうか

ああ、「普通」なんてものは、空虚なものだったんだ。目安にはなっても、それに身を委ねていては、いつか身を滅ぼすことになってしまうだけだったんだ。

その後、一年かけて私は無事就職することができた。それでも、かつて考えていた「普通」から外れた落第者である事実は変わらない。
ただ、あれから数年たった今だからこそ、そう思えるようになったのかもしれないが、私は就職浪人をして良かったと思っている。

おそらく「普通」から外れず、すんなりと就職していたら、自分の信じる普通がいかに脆く、偏ったものであるか知らず、嫌味な人間のまま人生を送ることになったと思う。
その事実を昔の私が知ったら、何というだろうか。「負け犬」とあざ笑うだろうか。それで結構だ。私は、あなたの知らない普通を超えた世界を見たのだから。