「あと87日」
長いと思っていた私と娘の十月十日も、あと100日を切った。我が子に会えるまで2ヶ月と少し。冬を越して、暖かくなり始める頃に、娘だった私は母になる。
でも、産まれてからはむしろスタート。2021年、私の中の大きなテーマは「子育て」になることは間違いない。

娘として、母の「普通」から初めて外れた日

親になるにあたって、いちばん身近な自分の母のことをふと思い出した。
母子家庭のため、一人で私と8歳下の弟を育ててくれた母。強くて、綺麗で、厳しくも優しい母のことが、私は好きだ。
そんな母の口癖は「普通でいい」。

決して裕福とはいえない母子家庭であったため、母は娘である私に同じような苦労をさせたくなかったのだろう。
「普通」ってなんだ?というモヤモヤを抱えながら、私は小さい頃からその「普通」を探していたように思う。恥ずかしながら、20歳を超えてもその「普通」を追い続けていた。そしていつの間にか、「普通」から外れる人生なんて考えられないようになった。

その甲斐あって、母の思う「普通」のレールに私はうまく乗ることになる。高校は進学校。それなりにいい大学に入学し、看護師を目指し、あと2ヶ月で卒業。安定した職業と収入を手に入れるまで、あと少しのところまできた。

そんな時、私は大学を辞めるという決断をした。私が本当にやりたいことを実現させるために。
それは、母の「普通」から、初めて大きく外れた瞬間だった。普通に大学に入って、普通に就職して、安定した生活を手に入れる……。きっと娘のそんな人生を想像して疑わなかったはずだ。

きっと母は絶望しながらも、私の背中を押してくれた

当然母は大反対。「どうして今なの」と何度言われたかわからない。母が電話に出てくれない日が何日も続いた。
それでも、メールやたまに出てくれた電話で、どうして今でなければならないのか、私の考えるライフプランとともに根気よく母に伝えたことを覚えている。やはり母には分かってもらいたい、その一心で。

1ヶ月くらい経った頃、私の強い気持ちが伝わったのか、母は「やりたいようにやりなさい。どんな人生でも、あなたはあなただもの。」と言ってくれた。反対されたままでいるよりも、背中を押されたことがすごく嬉しかった。
それは私にとって、母との間にある見えない壁が壊された瞬間。親子として、ワンステップ上がったような、そんな気持ちだった。

思えば、「大学を辞める」と娘に言われた時の母の絶望感はどれほどだっただろう。
あの頃は自分のやりたいことを伝えるために必死だったが、親になろうとしている今なら、痛いほどわかる。目に入れても痛くない可愛い可愛い我が子のため、「こうしたほうがいい」とアドバイスしたくなる。自分と同じような辛い思いをさせたくないとも感じる。

でもそれは、本当に「子供のため」だろうか?子供の人生は親がコントロールできるものではない。子供は親に育てられるけれど、だからといって親の人生を生きているわけではないのだ。
子供だって、一人の人間だ。親が「こうなって欲しい」と思う通りに育つとは限らない。かつての私がそうだったように。

「あなたは、あなたのままでいい」母として娘に伝えていきたい

では、親として子供にできることはなんだろう?
私は、無償の愛を届けることと、成長のサポート、そして子供がやりたいと思うことをのびのびできる環境を作ることだと思う。無限にある人生の選択を、子供が自分でできるように。
娘だった私が母になる、2021年。
もちろん不安なこともあるけれど、それ以上にワクワクしている。娘だった私が母にしてもらったように、「あなたは、あなたのままでいい」そう伝え続けていきたい。

娘へ。
無事に産まれてくることを、パパとママは祈ってるよ。あなたがお腹にいると分かったあの日から、「あなたの」人生は始まってる。私はあなたの成長、やりたいことのお手伝いを精一杯頑張るね。愛してるよ。