ソフトボールを始めて5年。私はずっとイップス(腕が震えたり、硬直してしまいボールを思うように送球できないこと)に苦しまされていた。毎日毎日部活の時間が憂鬱で、送球を練習するボール回しの時間は地獄の時間だった。投げるのが怖い、でも投げなきゃいけない。そんな中途半端な気持ちで投げたボールは、相手のグローブに入ることはなく隣の野球部の方へ消えていく。仲間は大声で「すみませーん!」と言ってボールを取りに行く。何度この光景を見たかわからない。

「ここにいるのが申し訳ない」それが全てだった。
高校2年の冬だっただろうか。私は限界を感じ、退部を考えた。空き教室で私は部長たち、そして彼女に告げた。「部活を辞めようと思う。」

一度は思いとどまったものの、苦しみから開放されたくて退部を決意

部員たちはみんな強くは止めなかったけど、「待ってる」とだけ言ってくれた。顧問は私に一言、「何もしなくていいから、お前はチームにいろ」と言った。

1週間がたち、私は他校のグラウンドでベースを蹴っていた。つまり、部活にプレーヤーとして戻ることにしたのだ。1週間部活を休み、悩んだ末の結果だった。
後で知ったことだが、彼女は私のいないところで「次〇〇が辞めると言ったら、そのときはとめるのをよそう」とみんなに言ってくれていたようだった。

しばらくときはたち、少しずつ暖かくなってきた。私のイップスは一向によくならなかった。また同じ繰り返し。ボールを投げるのが怖い。もうだめだ。辞めよう。もうこの苦しみから1日でも早く解放されなくては。

部活が終わったあと、私は彼女に数ヶ月前と全く同じことを告げた。「部活を辞めようと思う」。数ヶ月前は泣いたけどそのとき私は泣かなかった。

どのぐらい話しただろうか。淡々と自分の考えを話し終わったとき、彼女とようやく目があった。目を合わせるのが怖かった。

彼女は……ボロボロ泣いていた。

私はずっと彼女と白球を追ってきた。正直、楽しいと辛いは、1対9、いや楽しいはそれ以下だった。お互いプレー、人間関係、怪我いろんなことに悩んできた。それでも彼女はいつだって世界一の笑顔で明るかった。そして絶対に何があっても泣かなかった。私が見るはじめての涙だった。

彼女の涙と言葉に、もう一度彼女のためにソフトボールをしようと決意

彼女は私に言った。
「今まで、〇〇がこんなに苦しんでいたのにそれに気付いてあげられなかった自分が悔しい。」

「辞めないで」「待ってるね」その言葉たちのどれよりもずっとずっと重かった。こんなに彼女を泣かせてしまったことに、私はなんて言ったらいいのかわからない、とにかく言葉に表せないぐちゃぐちゃな気持ちだった。

私はその帰り道、頭の中は整理できていなかったけれど、ひとつだけ決めたことがある。それは、この人を泣かせたり悲しませたりすることだけは今後絶対にやめようということだ。正直今まで自分のためだけにがんばってきた。自分がミスしなければいい。自分が打てばいい。いつだって自分中心だった。でも、これからは彼女のためにソフトボールをしようと。そう決意した。

それからの私は、なぜか気持ちがうんと楽になった。今までグルグル縛り付けられてきた、「自分は完璧でなければならない」という呪いに解放された気がした。彼女はのちに私にこんなことも言ってくれた。「(ソフトボールが)うまいこと以上に大事なことがあると思う。」

彼女には敵わないなあ、と思った。彼女は本当の意味で弱さも知ってる強い人で、厳しさも知ってる優しい人だった。

彼女とそして仲間たちのおかげで私は高校最後の夏まで駆け抜けることができた。

世界一の笑顔を持つ彼女と叶えたい、高校時代から約10年越しの夢

私には高校時代から彼女には言えないちょっとした夢があった。
それは、彼女の結婚式でスピーチをさせてもらうこと。いつかこの普段は言えない感謝の気持ちを言葉にしたいと。

そして、その夢はありがたいことに2年前の秋に叶わせてもらった。「スピーチをお願いしたい」。約10年越しの夢が叶った瞬間だった。

何度も何度も書き直して、何度も何度も練習した。私がスピーチをしている間、彼女は目にたくさんの涙を浮かべた。
私が見る2回目の涙だった。

私にはもう一つ夢がある。まだまだ予定はないけれど、私の結婚式でスピーチを彼女にしてもらうことだ。

なんて言ってくれるんだろう。

10年以上こんなに近い存在だからこそ、いざとなると恥ずかしい気持ちになるだろう。

でもひとつだけ間違いなく確かなことは
彼女はスピーチの間、世界一、いや宇宙一の笑顔を見せてくれるだろうということだ。

その日が来ることを私は心から願っている。