3月にMBAを卒業する。4年前に新卒で入った職場のすぐそばにとった家の近所を散歩していた際に見つけた大学院の社会人課程。社会人じゃなければ受験ができないとのことで働きながらなんとなく準備をした。
仕事の合間を縫って出願をしたら、奇しくも最初の職場が経営難で契約終了が言い渡された翌週に試験日となってしまった。傷心でどうにでもなれと思いながら受験したところ、最年少で合格。私の学年には二十代は私しかいないとのことだった。
「毎年たくさん凄い人がくるけど、今年は社長が多いらしい」集まれば1人だけいつ買ったか忘れたリクルートスーツ。童顔もあいまって就活生にしか見えないと言われながら平均年齢がだいたい40歳くらいのMBAに入学した。
毎日が少年漫画のような、ゲームのボスラッシュのような日々
ここでの「普通」は信じてはいけないことばかりで、出席番号の前と後ろは新卒で学校教員をしていて世間知らずだった私でも知っている会社しか聞こえてこない。
ここでの「自営業」と「しがない会社員」「ちょっと家の家業を継いだ」という言葉ほど信用できないものはない。おとぎ話のヒロインが舞踏会にきたらこんな感じかもと最初の数日こそ思っていたがどちらかというと少年漫画の主人公の気持ちになった。
1、2巻でメタメタにボコボコにされて地面に埋まっているやつだ。と何度も思った。
ただでさえ教師の仕事でほとんどしない名刺交換は手がめちゃくちゃ震えた。毎日がゲームのボスラッシュのような日々だった。
自分の経験値、年収、生き様、どれも基本的に勝てない。圧倒的にこっちの経験値が足りていない。ディスカッションをすればいつも議論でボコボコにされた。頭のキレも歴戦の覇者のキレッキレの最終決戦用エクスカリバーVS無課金"ふつうの剣"もいいところだ。
食べているもの、飲んでいる酒。住んでいるところ、着てる服。「根本的に餌が違う」を身を以て体感した。
一般社会の「普通」の28歳の女の人は、一般的にはもういい大人だ。ここの投稿の対象年齢では「大人のおねえさん」カテゴリーだ。
アラサーなんて言われて、結婚適齢期だなんて言われて、もっと頑張れって言われていろんなものに板挟みにされる年齢だ。
高校、大学の同級生たちのラインの名字が(旧姓)になり、SNSに赤ちゃんの写真が載せられる。そんな中、私は一体何をしているんだろう、と、小さな虚無に襲われることも多々あった。
親には「縁遠くなる」と散々ネタにされた。しかし、ここでは私がもれなく最年少だった。
経験値とレベルが違うけど、初めて「浮かなかった」空間
「遅れそうならノート送ろうか?」と心配してくれた隣の席のおばちゃんは母と同い年で会社を経営している。
「こんどみんなでパーティーしよう」と声をかけてくれたおねえさんは恐れ多くて聞けないが私と干支が確か同じで、皆が知りすぎている広告会社に勤務している。
ファンキーな学友たちは、私が職場でパワハラに遭って休職になってしまった際に「死にたいじゃなくて死ねって世界に叫びながら走りぬけなさい」と言い放ち、「高校の先生じゃなくてとっととそんなところ辞めて大学の先生になっちゃおう!」とこれまでの人生で最も気軽に大学教員への転職を勧められた。
ディスカッションでさんざん私をボコボコにしてくれた"全員"年上の学友たちの言葉はオーバーキルで心強く、転職をするときに勇気をくれた。異世界帰りどころか現在進行形の私には転職の「役員面接」などとうに慣れてしまったことだった。
私は無事に転職することもできた。「こちとら毎晩恐れ多くも社長(複数形)と言い争いしてんだよ」は、まさに「あっちの世界で魔王と戦闘してきたんだよ」の心境だった。
同じ人間でも経験値とレベルが圧倒的に違いすぎると、何にも言えない。とんだ異世界交流もいいところである。まだ同級生たちにアドバイスができる自信は毛頭ない。
ただ、私が初めて嫌な意味で「浮かなかった」空間であった。
「普通勉強が好きな人なんてほとんどいない」
これは、ある意味世の中の大きな理論の1つだろう。みんな好きだったら世の中もっとマシかもしれないがある意味大変である。
勉強が嫌いなんて多くの”普通”の誰しもが思うことである。
高校生くらいまでは実際私もそうだった。
自分のお金で躊躇なく思い切り好きなことを学ぶ楽しさを味わえた
だけれども、いまここで自分のお金で自分の好きなことを学ぶ。そんな異世界の集合地点である「ギルド」みたいな場所に入れたら勉強がこんなにも楽しいなんて思いもしなかった。大人になってから私は「勉強が大好き」になった。
「好きなこと、勉強かな?」
これを言うと大抵幻滅され、変人判定される。コンパの席で木枯らしを何回吹かせたか分からない。教師をしていた時ですら、「先生変わり者だよね」と生徒にも先生だった同僚にも散々言われた。
そのためこれまでの人生で大人になってからの私があまり大きく公言できたことではなかった。ただ、自分のお金で躊躇なく思い切り好きなことを学ぶという気持ちを味わえたのは、学ぶことが心の底から好きだと思えたのはこの時が初めてだった。
「勉強が好き」シンプルに「変わり者」カテゴリーで突き抜けていく
「私は勉強が楽しいし。好きです」
これまでの人生で、「普通」の中で、同年代の友達の中で言いにくかった言葉がすごく素直に、心から出た。
よく「変わり者」というと奇抜なファッションや複雑化した思考がでてくるだろうし、イメージしやすいと思う。
私はそのどちらにも当てはまらない。正直この思考は非常にシンプルだ。わかりやすいのではないだろうか。真っ当なのではないだろうか。
ただ「変わり者」カテゴリーになってしまうのだ。さながら塗装の効いていない白いロケットみたいな感じの、色はシンプルなのに、一応まともなのに、どこか突き抜けかけてしまった何かを今なんとなく感じている。
もうすぐ卒業である。修論は大変だが、宇宙から地球を見たいから、もうちょっとだけがんばりたい。そんな気持ちである。もう少しだけ頑張りたい。