私、現在28歳、独身フリーター。
幼い頃は九州の児童養護施設で育った。

なんともややこしい家族。私は前向きで笑顔の絶えない社会人に

私の戸籍には母と姉、父は居ない。別れた父の方には、兄が居る。
実質3人兄妹ってところ。家族の面会は数える程しかなかった。
母は私を出産後、鬱になり、男と酒にしか頼る事が出来ないと知ったのは私が高校生活ラスト、夏の終わりだった。
実は私だけ父の種が違うと聞いたのも、その頃。
あ、そういえば一度、私が産まれてくる前に母は流産している。

母は私に酔うと必ず「生まれ変わりや」と投げかけていた。この言葉を理解するのに18年もかかった。

なんともややこしい家族。
だが、唯一の救いは施設で何不自由なく育ったお陰か私の性格は、逆境すら感じない程前向きで笑顔の絶えない社会人に成長した事である。
そんな私が施設を卒園し関西へ出た頃の財産は勿論無かった。それでもなんとか元気で生きていた。

普通と変わり者を分けていた私は、「変な集まりに巻き込まれた」

そんな中、人生の分岐点20歳の話である。
その日は雪でも積もるのかなと思うばかりの寒い日だった。
いつものように仕事へ行く準備をし携帯を覗くと
「12月24日仕事休みなら、道頓堀にサンタの格好して集合ね!」
友人から一通のLINE。
普通なら「どういう意味?」と返信しそうな連絡だったが、私は「おっけい!」だけ返信した。

12月24日当日「こんな寒い日に...」と思いつつ、近くのドンキホーテで適当に買ったサンタのコスプレを身に纏い友人と合流した。
すると、続々顔も名前も知らない男女が同じ場所へとやってきた。当日は10人弱程集まった。平然を装いつつも、私の頭の中はパニック。
「新手の合コンでもするんか?」。内心、めんどくさい気持ちの方が増していた。
すると、代表の男性が「メリークリスマスー!これから梅田まで道端の人に夢を聞いて歩いてくで。そしてお礼に準備したお菓子渡していこう」。
要するに、クリスマスプレゼントをただ渡すだけじゃなくて、お互いがワクワクする様なイベントなんかな?とも思った。この頃は「普通か変わり者」の選別をする性格だった私は、
「変な人の集まりに巻き込まれた」と感じていたのは今でも覚えてる。

2時間弱かけて、夢を沢山聞いて、お菓子を配り、いつしか寒さも忘れ気付けば梅田まで到着した。当日、イベント代表していた彼、実はバーを経営していた。ちょっと変わったバーだったな。バーと聞くと敷居の高いイメージであったが、そこは世界中の国旗が天井に沢山吊り下がってたし、壁には日本語や英語でメッセージが書いてあった。
参加してた人に聞くと、「ここは旅人が集まるバーやったり何か挑戦したい人、異業種の友達作りに来たり、バーやけどバーじゃないねんなぁ。BAR『場』やな」。

その日は、最初の「めんどくさい」という感情を一瞬で忘れ、よく飲んだ。終電は、ギリギリ間に合った。それからというもの週末はバーへ足を運び知らない人と出会い別れを重ね友達が出来る日々だった。

あの日誘ってくれた友達からの提案。あの日と同じ「おっけい!」

あの日誘ってくれた友達は、それっきりイベントは誘ってくることは無かったが、変わらずよく一緒にランチしたり家へ泊まりあったりした。
あれから半年、私は仕事をやめた。敷かれたレールの上を歩き毎日同じ作業を繰り返す自分に飽きてしまったから。あの日誘ってくれた友達も同じタイミングで仕事をやめた。

「ねぇ、この際地元まで一緒にヒッチハイクしない?」
実は友人とは幼馴染であり関西へ就職も同じであったのだ。
あの日と同じ「おっけい!」。

人生初を山程経験した。野宿をした。高速インター前で何時間も段ボールを掲げた。止まってくれた時は涙が出る程感動した。荷物が散乱してる大きなトラックに乗った。
やり方なんて分からないけど2人で試行錯誤して何とかたどり着いた。

あの日を境に私達は以前まで感じていた「普通か変わり者」の判別が無くなっていた。
いつしか「人生出会い」を軸に過ごす様になった。
人生振り返ると辛いこと楽しいこと、悔しいこと、幸せなこと沢山あった。
そんな時に思う。「母と父が愛し合ったお陰で今の私が居るんだな」と。
どんな形であれ自分の人生思いっきり生きようと。