「普通になりなさい」
そう父親に言われていた10代、わたしは自分が普通ではないのだと思った。
自分では普通のつもりだったけど、父親の言う普通になれるよう頑張った。
でも、やっぱり言われた。わたしは普通の意味がわからなくなって、どんどん普通から外れていった。
こんなのが社会なら、くだらない。わたしは学校に行くことをやめた。
「学校は社会の縮図」
中学生の頃、誰かがそう言った。グループのメンバーをひとりずつ仲間外れにしていったり、グループのボスの顔色をいつもうかがったり、勉強することが「ダサい」と思われたり、うんざりした。
こんなのが社会なら、くだらない。そう強く思った。
中学2年生の夏から、わたしは学校に行くことをやめた。もちろん家族は断固として反対して、わたしを学校に行かせようとした。校門の前で父親と格闘したこともあるし、それを学校にいた親友に見られたこともある。
それでも、わたしは卒業まで、ほとんど学校に通わずに過ごした。
当初高校に進学するつもりはさらさらなかったけれど、安易な気持ちで私立の高校を受験することになった。
当時見ていたディズニーのミュージカル映画が高校を舞台にした作品だったので、その影響だったと思う。
でも、受験の前日は受験したくなくて、居間のソファーで寝たら、当日風邪を引いて、保健室で受験した。咳きこむたび、知らない女性の先生に背中をさすられたことを鮮明に覚えている。
ろくに学校に通っていなかったのに、進学コースの1番いいクラスに受かってしまい、1番いい待遇の特待生にまでなってしまった。理数系の勉強は、中学1年生レベルだったのに。英語と国語以外が選択できるのが完全に裏目に出た。
気づけば、高校と大学を合わせて、12年も学校に通っていた
高校に通い始めたけれど、ろくに登校できずに、理数科目はちんぷんかんぷんで、数学のテストは0点を取った。
しかも、同じクラスの暴力的な女子に目をつけられて、自分の意志とは関係なく登校できなくなってしまった。
単位不足で留年が決まったわたしは、4年制の通信制高校に転校した。
そこで半分フリーターのような生活をしながら、高校を卒業した。高校を卒業したとき、わたしは20歳になっていた。
高校卒業後は私立大学に入った。その大学に合計7年在籍して、なんとか卒業した。
つらかった時期も長かったけれど、最後の半年はとても楽しくて、「終わりよければすべてよし」という言葉がそのまま当てはまる学生生活だった。
大学を卒業したら、27歳だった。中高と不登校だったわたしは、気づけば、高校と大学を合わせて、12年も学校に通っていた。
わたしたちは、普通なんて軽々と超えられる
わたしは中学時代から精神的な病を抱えていて、大学時代にそれが双極性障害という診断名になった。
家庭もいわゆる普通ではなかった。宗教熱心な両親は日本の普通とは、かけ離れていた。
祖父からは悪ふざけで、包丁を向けられることも何度もあった。今はもう違うけれど、昔は家が安心できる場所ではなかった。
そんな経歴や病を抱えるわたしは、自分のことを普通じゃないと思いこんでいた。
「自分だけが特別だと思わないほうがいいよ」
ある日、恋人にそう言われて、ハッとした。わたしは自分をよくない意味で特別視していたと気づいたからだ。
わたしは自分のことを普通になれない人間だと思っていた。だから、普通の人にはかなわないと勝手に思いこんでいた。
でも、何もかもが平均、普通の人なんて存在しない。人間、普通じゃないのが普通だ。わたしを苦しめていた普通という言葉は虚像に過ぎない。
だから、わたしは、わたしたちは、普通なんて軽々と超えられる。普通じゃないと思っても、それは何も特別なことじゃない。
普通じゃないわたしは、わたしたちは普通で、ひとりひとりがその言葉を超えられる。今はそう思っている。