ふつうってなんなのか?
これはきっと誰もが人生のなかで思う瞬間があると思う。
辞書で調べれば「広く一般に通じること」とある。では、多数派が正しいのか。
でも私が見ている世界が多数派とは限らない。
なんだろう、わからない。

21年間生きてわかったこと。それは、世界はグレーということだ

私たちは、いつだって誰かの固定観念に踏みつけられる瞬間がある。それが故意であっても無意識であってもだ。例えば、恋人の有無を聞かれる瞬間。「彼氏はいるの?」と聞かれる。私は、今まで好きになった人は女性も男性もいる。もし私が同性と付き合っていたら、彼らにとっては恋人ではないのだろうか。もしかしたら、私は彼らの言う普通じゃなくて私の普通は間違っているのかもしれない。でも、それをだれが証明できるのだろう。

私の生き方が間違っているのか、それともこのマイノリティを認める世界の中で数字的なマジョリティでしか物事をとらえられていない彼らのほうが普通を理解できていないのか。わからない。

でも私が21年間生きていてわかったことがある。それは、世界はグレーということだ。
読んでいる人からしたら、「なんだ、こんな普通のことを話しといてグレーかよ」と思う人もいるかもしれない。でもこれは、本当のことだと思う。私たちが正義だと思っていることが誰かを傷つけていることがあれば、その反対もあるということだ。

私の父は、農家の長男である。しかし、結婚するときには安定した職業に就き農業を趣味程度にするように約束した。父は幼少期から農家の仕事を手伝い、田舎の地で両親の隣に寄り添い長男として常に家を守ってきた。自分の生きたい学校には行かせてもらえず長男として農家を継ぐことしか選択肢が与えられなかった。父は、選択肢が少ない人生だったと嘆いていた。
そして、そんな父にとって、家族とはどんなときでも支えあう存在らしい。

「誰の金で飯が食えていると思ってるんだ!」「お前の教育が悪いからあんな風に育ったんだ!」と酔った父はよく母に向かって怒鳴っていた。これは、私が小学生低学年ごろから現在まで続くことだ。

子ども心に恥ずかしかった。14の夜、私は父を家族と思わなくなった

父は今まで子育てには参加してこなかった。小学校の運動会には来てくれたが、木陰でビールを飲んでブルーシートの上で横になっていた。小学生でも、周囲のお父さんと違うことは分かった。小さいながらに恥ずかしかったことだけは覚えている。

またある時は、夜に父がひどく酔ってリビングに帰ってきた。彼は機嫌が悪そうに、テーブルに座り新しく買ってきたビールを開ける。その時には、もう兄と姉、私は父の機嫌をくみ取れるようになっていたため怒鳴られるかびくびくしながらもテレビが見たいためギリギリまで居座っていた。父は、一言つぶやいた。「仕事辞めてきた。あんなところもうダメだ。将来性がない」母は、「うそでしょ」と最初笑いかけていたが、父が激情的になっていく様子をみて母も本当だと理解り喧嘩はどんどんヒートアップしていった。私たちは、自分の部屋に戻った、何も言わず。私たち子供は、それが一番の解決策と知っているからだ。

この十年後にわかることになるが、父はこの日飲み会で上司と口げんかになり父は怒りのあまり手を出したらしい。父は、「将来性がない、あんな会社だめだ」と言っていたが父が務めていた会社は翌年驚異的な黒字を叩き出して地元の新聞のトップを飾った。

やがて私は中学生になり、部活をはじめ受験勉強を意識する年頃になった。頭がよくない私は、塾に通い公立高校受験への勉強をし始めた。三つ年上の姉も高校三年生で国立大学受験のために塾を複数通いかなり金銭面で負担が大きかった年といえるだろう。母は、それを見越してかアルバイトをはじめそのお金を私たちの学費に費やした。
日々はせわしなく過ぎ、受験を無事に迎える。と思っていたが、そうはいかなかった。
ある夜、自分の部屋で眠ろうとすると怒鳴り声がリビングに響いた。
「なぜ金がこんなにないんだ。農業を大規模化するためにはもっと金が必要なのに。削れるところはないのか!」
布団の中、震える自分とこぶしを握り締めた。(耐えなきゃ、耐えなきゃ。大丈夫)そんな理由もない言葉を繰り返しながら耳をひそめた。
「子供の塾代なんていらないだろ!保険を崩せ!」
「・・・なんてこと言うんですか」
父と母の言い合いは激しくなる。
どうやら、父にとっての削れるところ要は無駄なお金とは私たちの塾に払う授業料金らしかった。14の夜、私は父を家族と思わなくなった。

私はこのころから、父に家族と思っていないことを悟られないように気を付けた。彼は、扶養者であり私たちの生活の柱であることは変わりなく母一人にその負担が行けば今まで通りの生活はできなくなるとわかっていたからだ。

彼は、私たち子供に農業を手伝わせることが好きだった。一日中、トイレのない場所で苗の箱を一人で洗うように指示されたり家族全員で農業を手伝うように言われた。その指示に背けば彼の機嫌は瞬く間にどん底まで悪くなり彼の怒りの矛先は母を通して自分たちに向いてしまう。私たちは黙って従った。そして父にとっては農家の一家では手伝うのは当たり前であり、母によると彼はこの家族の時間が幸せらしかった。

しかし、タバコを吸いながら、働く家族を怒鳴る彼の姿は幸せとは程遠い形のように感じた。

世界では違法な賃金で働かされ、日々の生活もままならない子供たちがいる。その子たちと比べたら私はましな方だ。そう思い、私は農業を手伝い彼の言葉を心の中で無視し続け去年二十歳になった。

結果から言うと、私の幼少期からの怒りは成人しても変わらなかった。世に言う家族の普通とか、親子の普通や農家の普通なんて私にはわからない。最終的に手元に残ったのは、自分が思う普通が自分を支えているという事実だ。
社会に出たら、誰かの普通に動かされ自分の考えとは違っても無視できない時がある。でも自分の軸は自分なのだ。他人の普通や一般論じゃない。

それは、父にとっても同様なのである。父にとっての普通は自分自身であり、自分が知っている事実や考えでしかない。私たちは、お互いに自分自身が正しいと思いこの21年間共生してきたのだ。

もう一度言おう。世界はグレーだ、いやカラフルかもしれない。
混ざりあわずカラーを主張しあっている。

誰かに気持ちや考えを伝えるときに「普通」なんて言葉は理由にならない。そしてそれを押し付けあってもいけない。
それは自分の見えてる世界の一部分にすぎないのだから。