「好きな動物は何?」
と記載されて答える動物は何を書くだろう。ウサギだろうか。ネコだろうか。私は「ウーパールーパー」「ウミウシ」「オオサンショウウオ」である。
ウーパールーパーが好きになったのは高校時代に所属していた地球部(生物部のような部活なのだが、地学や物理も少々やっていたためこの名前)で、何かを飼育することになった際に、当時の顧問が「生命力が強くて丈夫なもの」としてウーパールーパーをチョイスしたところ、非常に魅力的な生き物であることが分かった。
「ぽちぽちぴー」「無表情」の魅力にハマってしまった
どうも私は「ぽちぽちぴー」の目と線の口に弱いらしく(いわゆるこういう顔→(・―・))、そこからあれよあれよという間にオオサンショウウオ等の両生類の淡水の沼にどっぷりと漬かり、その後にウミウシにもハマった。表情はないがカラフルで健気な姿はとっても可愛い。初めて買った写真集もウミウシの写真集だった。隣にいた友達に「あんたそれ、デートでやったら男選びも同時にすることになるわよ」とご指摘を頂いたが、なんともいえぬ「ぽちぽちぴー」「無表情」の魅力にハマってしまったがどうも「独特の感性」らしい。
会社で、テレワーク時、モニターに映像を写す実験を行う際に「何かぬいぐるみない?」と社長に言われたときに「うーん、ウミウシとメンダコとウーパールーパー、それにナマコのぬいぐるみならおりますが」と答えたところ、「普通の生物がいない」とツッコミをいただくとともに、心のソーシャルディスタンスをちょっと感じた。なんだろう。かわいいかわいい犬とか猫とかテディベアとか答えれば良かったのだろうか。
癒しが欲しいときに求められるのは、何もなくとも可愛い「無」
「愛想良くしなきゃだめだよ」「可愛くしないと」「笑顔が一番」
そう言われることは幾度となく人なら誰しもあるだろう。ただ、私はそんなに表情筋はうごかないし、面白くないものに笑いたくない気持ちがあった。なぜ人は「笑顔」で「表情豊か」にしなければ「可愛い」判定にならないのだろう。目の前のこいつらの口はアヒル口にもならなければ、顔認証で満面の笑顔になることはほぼない。こいつらに愛想はないかもしれないが、愛嬌がある。こんなにもかわいくて愛おしい。
疲れている人に微笑みかけると、癒しになるのだろうか。私はならない場合もあるのではないだろうかと思う。元気なときに元気を分けてもらうというのは半分迷信だと思う。幸せのお裾分けは大抵胸焼けを起こしたり、解釈違いで喉が悲しい気持ちになったり、嫉妬でお腹が狂いそうになったりすることがほとんどだ。表情がなければいけないのだろうかと思う。
そんな気持ちになったとき、ぼうっと「ぽちぽちぴー」の面々を見ると、本当に寂しい時や悲しいとき、いわゆる「癒しが欲しいとき」に求められるのは、ニッコリでもなく、豊かな表情でもなく、何もなくとも可愛い「無」の「ぽちぽちぴー」という結論にたどり着く。
「ぽちぽちぴー」をモールス信号にすると「・・― 」となる。これはアルファベットのU
だったりする。わたしが口を「U」のように表に表現しなくとも、心の中でにっこりさせるのは、愛想の良い無料のスマイルでも、優しい言葉でもなく、ただ黙ってぼうっとそばにいてくれる「無表情」なのではないだろうかと思う。
「無表情」の可愛さ、癒しが広まって、いや、爆発して欲しい
だいぶ昔に出会ってSNSで繋がっていた部活の後輩が社会人になった。
「会社の新人研修で、好きな動物にウーパールーパーって言ったら引かれたけど、印象に残ってもらったんです。嬉しいけどちょっと複雑。まったく失礼な!ウパちゃんの表情、可愛いですよね」
と言っていた。
こちらが褒められてもいないのに、なんだかこっちが「したり顔」になってしまった。そうだ。「ぽちぽちぴー」はかわいいぞ。
近年は、ウミウシとか、オオサンショウウオとか、その手のぬいぐるみがやっと販売されるようになってきた。どことなくどいつもこいつもいい無表情をしている。無表情の可愛さ。癒し。どうかもっとスタンダードな「感性」として広まって欲しいと思う。笑顔が一番とか、表情がどうとかもそりゃ魅力の1つかもしれないが、「無表情」の可愛さ、癒し、どうかもっと広まって欲しいというよりも広まっていると思うので、ぜひ爆発して欲しい。そして好きで楽な表情で生きていきたい、そう願う。