家族、友達、恋人、相棒、仲間…人と人との関係にはたくさんの名前がつけられている。名前を持ち、確認をすることでその関係は強固になり、ある意味で"約束"のような役割を担う。
「私達友達だよね?」だとか、「付き合ってください」だとか。相手との関係性をカテゴリー化するのは、人が社会で効率的に生きていく上で必要なものでもある。
けれど、そんなカテゴリーに囚われずに人と付き合う人もいる。今回は少しだけ自分とある人たちの関係性についてお話をしていこうと思う。

Twitterで知り合った「身内」。既存のカテゴリーでは表せない関係

私には大切で愛しい5人の人間がいる。
その人達は、家族でも恋人でもない、世間一般で言うところただの友達だが、家族でもあり恋人でもあり友達でもある。とにかく、既にある大まかなカテゴリーでは言い表せない関係だ。

私たちはこの集まりのことを「身内」と呼んでいる。若い女性達が、イツメンにグループ名を付けているのに似たようなものだけれど、身内はグループ名というよりも、関係性に名前を付けたものだと思っている。

出会いのきっかけは今からおよそ7年前。私を含めた6人全員が、当時同じジャンルにハマっていた"絵を描くオタク"だった。5人のうちの一人のH(仮名)は人との交流が大好きで、Twitterのフォロワーに呼びかけ、Skypeで通話をしながら毎日のようにお絵描きチャットを開いていた。
そこでよく集まっていた面子は当時10人以上は居たが、7年経った今でも、絵を描くでもなく通話をしている、残ったり戻ったりした6人の"イツメン"が、身内だ。

私は大学に通っていて今大切にお付き合いしている恋人もいるし、大切な友達、親友もいる。自分と関わってくれている人々のことも心から愛してやまないし、それぞれの愛を綴ることもできるくらいだが、その中でも身内は似ているようで非なる存在だ。

姉妹、娘、ママ……「身内」はなんにだってなってくれる

ネット上での繋がりなので、それぞれがバラバラの地域に住んでいるし、年齢も、性格も、家庭環境もバラバラだ。
共通点といえば、絵が上手だということしかない(全員女性でもあるが、性別で括るには曖昧なラインだ)。
なぜこのメンバーで安定したのかもわからないし、今までずっと関係が続いているのも、ただの運か縁みたいなものだろう。でも、この人たちのことを心の底から愛している。 

普段どんな人と関わっているか、どんな生活を送っているか、どんなものを食べているか、会って覗きに行けるような距離ではないけれど、定期的に報告し合っては、「いいね!」と肯定し合う。
血は繋がっていないが、帰省したくなる実家、なんでも話せる姉妹、世話を焼きたくなる娘、尊敬できる頼もしいママ。それと同時に、どこまでも応援していきたい推しでもあり馬鹿みたいなことで大笑いできる友達でもあり、何かあれば一番に駆けつけたいパートナーのような存在。
身内はなんにだってなってくれるし、身内の前なら私もまた、なんにだってなれるのだ。

そこには人数分の理屈抜きの"愛"しか無いのだ

自慢したい絵や、写真や、思い出話を気の向くまま話しても、うんうんと嬉しそうに聞いて、どこの誰よりも大袈裟に褒めちぎってくれるし、私もまたそうしたいと思える。
そして落ち込んでいるときや悩んでいる時は真剣に言葉を整理して、一緒に頑張ろう!と励ましてくれる人もいれば、そっと静かに居てくれる人、一緒に泣いてくれる人だっている。そこには人数分の理屈抜きの"愛"しか無いのだ。

また、愛されているからこそ自分を愛せるし、自分愛してる! と堂々としていると、「君のそういうところを愛してるよ」と、また愛される。そんな幸せすぎるループが私を根っからのポジティブ思考へと成長させたのだ。
同姓婚と一夫多妻性が適用されるならば、身内全員と籍を入れて本当の家族になりたい。そんな夢のような話をしては、相槌を打ったり。
身内という存在は、家族のようで、恋人のようで、友達のようでもあるが、これまでもこれからも私にとって、そしてお互いにとって「身内」であることに変わりはないだろう。