24歳になって孤独を知った。

ついぞあれだけ私を振り回した母親と縁を切ってやることに成功して1年が経った。「父親にはお金のことは内緒にするから、もう関わらないで」と伝えれば、よほど父親にこの話をされるのが嫌だったのだろう。あっさりと母親は私から手を引き、安堵と同時に自分がそれだけの人間であることを思い知らされているような気持ちになった。

私が家族を手放し1年が経った。恋人がいないまま過ごす1年は、私にとっては風は冷たいし太陽は必要以上にうるさいし、月は私のことを貶した。ようするに寝ても覚めても孤独だった。事情を知っている友人も結婚し、私は本格的な孤独に身を震えさせていた。
北海道から上京してきた私に友人は片手で数えられる程度しかいなかった。そのうちの友人も、東京に就職したはいいもののと少しずつ実家に帰り始め、結婚し、私が心を開き一緒に遊ぶような友人は年に1度会えればいい程度になってしまっていた。社会人になるというのは、こういうことなのかもしれないと白い天井を見上げながらぼんやりして思った。

孤独の埋め方を知らない。結婚に縋る思いも、独りで生きる覚悟もある

そうだ、結婚しよう。
馬鹿みたいに結婚に縋ることを本気で考えた。その時は23歳。結婚を早々にしてしまうことに戸惑いを感じていた。25歳になっても良い人が誰もいなかったから婚活をして結婚しようと本心から思った。24歳になるが良い人は現れない。職業柄出会いもない。

本当に結婚をしたいわけではないと思う。孤独の埋め方を知らないだけだ。
平日は仕事に没頭し、休みの日は趣味に没頭し、そうして遊び、癒しを求めて都内の天然温泉に身を浸した時にふと自分が孤独だということを知る。

自分が家族に頼れない場所に身を置いている、という事実はあまりにも重々しい。私は独りだ。これから病気をしても怪我をしても天災に見舞われても独りだ。24歳になる前にと早々に生命保険に入った私を同期も上司も驚いた顔で見たけれど、私はなにがどうなっても独りでしかないのだから、生命保険の受取人にはオリンピックレベルでしか顔を合さない父親にお願いし、私はもう独りで生きていく覚悟を決めた。

マッチングアプリですっかりその気でいる時、私に孤独は寄り添わない

その傍らで、猛烈に結婚をしたいと思う自分がいた。寂しいのは嫌いだと思う。じゃなければ、マッチングアプリで一夜の関係を求めたりはしない。

誰かに心配されたい。仕事帰りに改札を抜け、家まで歩こうとした時、駅前に恋人の帰りを待っている人を見つけて、とてつもなく惨めな気持ちで、無性に泣くか怒鳴るかしたくなる。私は独りなのだと思い知らされるような気持ちになる。

マッチングアプリで適当な誰かにいいねをして、連絡を取る。可愛いね、と言われてすっかりその気でいる馬鹿な女になっている時、私に孤独は寄り添わない。一度会って、昼にハンバーグ屋で他愛もない会話をしながら950円のハンバーグを食べて、会計で「1000円でいいよ」だって。それからもうすっかり熱が冷めて、いつの間にか連絡を絶った男の連絡先はLINEの友だち一覧にまだ残っていて、その度に私は虚しくなる。一夜を共にした男の連絡先はあんなにあっさりと消してしまえるのに。
なにしてんだろ、と独りで思っても答えなんて出てこないし、こればかりは自分で決めて行動しなければということもわかっている。

誰かと一緒にいる自信がないけれど、猛烈に孤独を嫌っている

けれど、家族という1番身近な他人との関係を築くことの出来なかった私は、誰かと一緒にいることが出来る自信もなく、いつも適当なところで連絡を絶ってしまう。誰かと一緒にいる自信がないけれど、勇気もないけれど、私は今、猛烈に孤独を嫌っている。

2021年の10月に私は25歳になる。そうしたら、もういい加減に婚活をしよう。誰かと一緒にいる勇気を持とう。失敗するかもしれないけれど、もうそれだっていい。

けど、私は独りで旅行に行くのが好きで、独りでぼーっとしている時が1番の幸せで、だからまだ彼氏はいらないかなって自分の中で葛藤する。何時まで経っても答えは見つからない。2021年の10月まで残り10か月。ちゃんと考えて、自分の道を見つけなければいけない。そう思うだけで憂鬱だ。私はもう一生独りでいいのかもしれない。ひとりぼっちは寂しいけれど。